「なに、白拍子かよ。白拍子なら、ちょうどよいわ。今日は賽日
、舞殿ぶでん へ上げて、法楽ほうらく
させい」 たれかが言い出した、 法楽とは、神前の舞を献じることである。 巫女みこ
の舞技では、めずらしくない。けれど、迷はぐ
れて来た小雀が、都振りを舞ったら、これは見ものぞと、みな興がった。 「── 舞え、舞え」 と、静をうながして、責めたてる。やんやと、はやしつつ追い立てる。 「・・・・御無態ごむたい
でござりまする」 静はただ、顔をかたくして、詫びぬいた。 「何が、無態」 「白拍子が、舞えぬ道理はあるまい」 「舞衣まいぎぬ
もある、扇もある。さ、舞殿へ歩め」 肯き
かばこそだ。かの女が、身に持つ秘密と、衆人の中の辱はじ
に耐えながら、おろおろすればするほど、その様を見て、人びとの野性は、よろこぶのだった。 かの女は、身の疲れを訴えて、なお、地の肌にしがみついていた。──
と、かなたの廊を通りかけた一老僧が、ふと足を戻して来て、 「噪さわ
がしい。何を群れているのか」 と、そこをのぞいた。 蔵王堂ざおうどう
の治部ノ法印であった。 法印の姿を見ると、山僧たちは、急に、真面目くさった。あらましを聞いただけで、治部ノ法印は、何か仔細しさい
がある者と、察したに違いない。 「もってのほかじゃ」 と、そこらの若大衆を、白い眉毛まゆげ
でしかりつけた。 「法楽とは、遊びではない。神事と酒盛りの座興とは事違うぞ。この女子は、蔵王堂へひいて行け。不審もあるゆえ、とくと、本坊で調べてみる」 そこから、蔵王堂は遠くない。静は、堂衆たちに守られて、蔵王堂権檐の一房へすぐ移された。 ほっと、一時の難は、のがれ得た気がしたものの、ここは、金峰山きんぷせん
の総本堂である。 仁王門、七十二間の廻廊かいろう
、金堂こんどう 、大塔などを擁よう
す法城は、さらに、静の心を、すくませた。かの女は、仏の手を感じるよりは、鉄の檻おり
に閉じ込められた心地であった。 どうしたのか、その夜も、次の日も、調べはなかった。 ただかの女にも、山僧とおなじ粥かゆ
が供せられ、自然、疲れた体は、われにもなく、眠り落ちていたことだった。 けれど、まどろむと、すぐ夢を見た。 うや、夢でもない、現うつつ
でもない。異常な戦慄せんりつ
からまだ落ち着いていないかの女の魂と呼べるようなものは、夜すがら、そのどっちにも呼吸していたのである。 そして、ありありと、真白な雪の中を、なお、良人おっと
と一しょに、女人禁制の峰へ踏み上って行く自分を観み
ていた。── と思えば、たちまち、香煙にくしんだ鉄の襖ふすま
の中に身を横たえている自分に返っている。そのとき、かの女は、声を発して、泣いた。蔵王ざおう
権現の伽藍がらん も震ゆ
れよとすすり泣いた。けれど、仏の御手みて
は垂れない。近づく人の跫音あしおと
もしない 。どこかの梵鐘ぼんしょう
が、遠くで、おりに答えるだけだった。 |