どこで道を迷ってしまったのか。 静は、半日ほども、谷道を、さまよっていた。 義経と別れてから間もなく、供の雑色
たちが、 「元の山街道を戻っては、夜明けとともに、子守の神主かんぬし
も申していた悪僧どもの眼にかかりましょうず」 「なるべく、人目少ない間道を取って、参らぬことには」 「馬は捨てて、いっそ、お歩ひろ
いなされませ。杖一つを力に、お荷物などは、てまえどもが持ちますれば」 と、口をそろえて言うがまま、彼らの足まかせに、導みちび
かれていたのである。 ところが、中院谷ちゅういんだに
とやらを過ぎると、彼らは、再び、 「ようやく、夜明けも近う覚えまする。山には、悪僧ばかりが、いるわけでもございませぬ。どこぞ、慈悲ある御堂を訪ねて、あさの糧かて
やら、おん身の憩いこ いを、頼み入りて参りまする。──
また、あわよくば、都へ帰るよい方便もないとは限りませぬで」 と、静ひとりを、小さな祠ほこら
の破れ縁において、四人の雑色ぞうしき
が四人とも、どこかえ行ってしまったのだ。 正直に、彼らの帰りを、静は根気こんき
よく待っていたのである。 もともと、彼らは、義経の股肱ここう
の臣というほどな者ではない。静の持物も、預っていたし、欲と、追捕ついぶ
の恐こわ さとが、今を、よい逃亡の機会と思わせたに違いない。 静は、やっと、騙だま
されたことに気づいた。ぜひなく、ひとりで道をさがし求めた。飢う
えは迫るし、体は綿のように疲れてくる。果ては、寒さも、時間の経過も、まったく意識にかすんで、恍惚こうこつ
に似た喪心そうしん と、よろめきを続けていた。 すると、どこかで、音楽が聞こえる。鉦かね
や笛や鼓であった。 彼女は、はっと、心を醒さ
ました。 以前、白拍子であった彼女は、人いちばい、笛や鼓の音に多感であった。急に、どこか活き活きとして、その音を頼りに、一つの高所へ、登って行った。 勝手神社の社殿や廊が見え出した。 華麗な門へ、向かい合うと、もう、往き来のたくさんな人びとと、すれちがった。お賽日さいじつ
とみえ、山里の男女や童わらべ
も、皆、きれいな身なりをしていた。 そして、どの顔も、怪しむごとく、静の姿を振り向いて行く。 静は、玉垣たまがき
の前にすわって、四柱よはしら
の神へぬかずいた。一つの祭神は、木乃花咲耶媛このはなさくやひめ
であった。かの女は思わず、胸の前で、かたく掌を合わせ、 「── 女神めがみ
におわすならば、女の心は、わけて、ようお分かりでございましょう。何とぞ、わが夫つま
の先途を、お守り下さいまし、再び会う日を、ふたりのうえに、おめぐみ給わりませ」 と、一念になった。 真っ暗な胸を突き破って、自己の祈りが、何かへ、谺こだま
して届くかのような心地にやがてくるまれて来る。とめどない涙が、謙虚な人の子の顔を洗う。── そうしている間が救いなのであった。静は、もうどこへも起ちたくなかった。このまま、祈りつづけていたかった。
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