もう吉野の山上さえ、はるか後方の、低い一頂上に振り返られる。──
そして、こんな所にも、人が住むのかと怪しまれるほど山極
まった所に、また、まばらな民家が見え、道のつき当たりには小高い石段と、社殿の屋根のカツオ木が仰がれた。 「おう、あの朱あけ
の鳥居が、子守こもり ノ御社みやしろ
でどざいましょうず」 「さては、文彦あやひこ
の住む分水みくまり ノ峰みね
とかはそこか・・・・誰た ぞ」 と、義経は、郎党たちを見て、 「あれなる社家の内を、訪おとの
うてみよ」 と、言った。 馬を捨てて二、三の影が石段を駆け登って行った。ほどなく、上に人影が見え、幾ツかの灯影もゆらいで、義経たちを出迎えた。 神職の文彦あやひこ
は、あらかじめ、義経がここへ来ることを、予期していた。蔵王ざおう
本坊の取沙汰を、彼も、耳にしてないわけはない。 夜も遅かったのに、大炉おおろ
には赤々と榾ほだ を焚く
べ、台所でも、竈かまど や大鍋おおなべ
で何やら暖かな物を煮炊にた きしつつ、待ちうけていた様子に見える。 この意外な、ねぎらいに会って、人びとは、暖だん
を取り、腹をみたし、みな蘇生そせい
の思いをしたことだった。 けれど、文彦は、どこやら、気はすまぬらしい面持ちで、 「じつは、ここはもはや、御一同にとって、安全な所ではなくなりました。──
御休憩をとられたうえは、一刻も早く、さらに奥へと、お落ち退きありますように」 と、やがて、言いぬくそうに、義経へ言う。 彼の言によると。 蔵王堂における論議では、義経の入山を拒こば
む、ということで一決を見たわけだが、裏面ではなお、過激な一部の衆徒が、横川の覚範かくはん
を首領とし、しきりに、動き出している形跡がある。 彼らは、あくまで、義経を捕えるか、首にするか、ふぁと言っている。鎌倉どのが、天下に令して、求めてやまぬものが、「この吉野へ迷い込んだとは、なんたる僥倖ぎょうこう
か。 みすみす、それを逃しては、逆に、後日おとがめたるは必定だ。しかも季節は、四岳谷々、雪に封じられた真冬。 「── 判官の素っ首、手に唾つば
して見るべし」 と数百の僧兵は、すでに追跡にかかっているとのこと。 「ゆめ、御油断なりません」 と、文彦、言うのであった。 覚悟の前である。もとより義経以下、たれもあわてはしなかった。 けれど、ここでまた、はたと、むごい運命の扉とびら
に拒まれねばならぬ一人がある。それは、静であった。 ここから先の道は、いわゆる大峰の結界けっかい
である。役えん の小角しょうかく
このかた、行者たる山伏たちの秘境、山岳宗しゅう
の道場として、数百年来、女人禁制の鉄則が守られており、まだ破られた例ためし
はないという。 「たとえ、いかなる御事情によるとも、女性にょしょう
のおん身では、立ち入ること、かないませぬ。もし破らば、天人ともに怒るの御罰をうけ、吉野はおろか、那智、羽黒、白山、富士、御嶽、天下の優婆塞うばそく
が呪いに会わねばなりません」 人びとへ向かって、そう言う文彦あやひこ
の、罪もないその人までが、静のひとみには、冷酷無常な山の制度、そのもののように思われて、恨めしかった。 わっと、声をあげて、泣きたく思った。 だが、かの女とて、仏教や神道が、法律とか道徳などより、はるかに高い力と光を持っている時代の下に生まれた子であった。国禁を犯すも同様な、大それた科とが
には、はたと、心も閉じられてしまう。 雪千丈の谷も、白皚々はくがいがい
な大峰も、女はそれを恐れはしない。── けれど必然、愛する人へかかる累るい
を思えば、盲目にはなりきれなかった。 |