「──
事態、なんとも、残念にござりますが、右のような、思わぬ仕儀となり果てまいて」 その夜。 吉水院へ引き揚げて来た千丈と実生は、さっそく、義経たちと、一室に会して、ありのままを、しかし、いかにも、いいにくそうに伝えたのであった。 「今さら、いかなる言葉をもって、お詫
びしたものやらと、暗い思いにて、戻りまいた。とはいえ、事のいきさつ、おつつみ申す場合でもございませぬし・・・・」 心から気の毒そうに告げる二人であった。そして、それが、自分たちの裏切りでもあるかのように詫びぬくのである。 「なんの・・・・」 と、義経は打ち消した。 始終を、黙然と聞くうちに、彼の姿には、もう、
「かねて、期ご したることか」
という観念は出来ていた。 「うらぶれたるこの義経に、過ぐる日よりの厚い御庇護ごひご
、それさえ、どれほど、うれしく思われたことか知れぬに、このうえ其許そこもと
たちを、苦しい羽目に立たせてはすまぬ。・・・・のう、面々」 左右の者の、顔を見て ── 「山の議定ぎじょう
とあっては、寸時も、ここにいることはなるまい。かたがた、吉水院の迷惑。いで、支度せよ。夜のうちに、ここを立ち出よう」 と、言った。 弁慶も、有綱も、そのほか皆、うなずき合って、すぐにもと、起ちかける。──
が、千丈房は、あわてて、一同を引き止め、 「さまで、鳥の立つように、お急ぎあらずとも、まずまず、落ち合う道の、おえらびも大事。また、山中のこの大雪、何かとここで、お支度もおすましあるように」 と、みずから厨房ちゅうぼう
へ出て、山僧たちに命じ、暖かい夜食やら腰弁当こしがて
の支度を、にわかに、いいつけた。そしてまた、 「・・・・なにもございませぬが、お体を温ぬく
めぬことには」 と、酒を運んで来、心ばかりな別宴を、そこに設けた。 事実、室内でさえ、手足の知覚はないような寒さなのだ。 「── かたじけない」
と、人びとはみな、杯へ手を出した。酒の香に、鼻をつかれて、急に水洟みずばな
をすすり上げる者もある。 「ところで」 と、実生房は、満べんなく、酒の瓶子へいし
を、人びとの杯へすすめながら、訊たず
ねた。 「これより、人里へお降りになるには、いかにも、危うい心地がいたしますが、御一同には、道をいずれに取って、吉野を出で給うお考えでございますか」 「さあて」 と、弁慶はうめいて、忠信や有綱の顔を見た。たれにも、思案はないのである。 そこで、実生房が言うには。──
子守ノ神職文彦あやひこ がいる水分みくまり
神社は、ここからさらに、登りばかりの峰道一里余りの奥にある。冬は、ほとんど、通う人も見られない。ひとまず、目前の御危難をそこへ避けられては、いかがなものか。 山のうわさも、人里における追捕ついぶ
の詮議せんぎ も、やがては、下火になるに違いない。よい日和ひより
を見、水分みくまり ノ峰みね
から大峰へ越え出れば、どこへお志こころざ
しあろうと、その先は、もう、御自由と申すもの。 ただ、峰また峰、奥へ行くほど、積雪の量は、想像もつきかねる。── それだに、御辛抱あるならば、最も安全な逃げ道でしょう、と実生房は言うのであった。 義経は、かたわらで、聞いていて、 「それよ、その道こそ」 と、心に決めたもののようである。が、それとも言わず、彼は、静にも、身の用意をさせるため、渡りの橋のかなたへ隠れた。
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