〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/07/13 (日) つ ら ら すだれ (三)

ところが、それもつかの 、静がここへたどり着いた翌々日ごろからの変化だった。
大衆の間に、また寄り寄りな異論が出たとか、執行しゅぎょう の次座たる律師りっし 覚範かくはん の不在中に行われた談合だから、さきの議定は、総意でないとか、山は、おだやかでなくなった。
「ばかなこと。たれが、そんな異論を」
千丈や実生は、笑っていた。だが一日ごとに、異論は、けわしさを加え 「── 捨ておけじ」 と、彼らが、執行以下の役々の座へ、その腹を、ただしに出向いた時は、しでに遅かったほどだった。義経に対する山の態度は、がらりと変わっていたのである。
「── はて、なんで?」
そのいぶかりも、すぐ解けた。
異論の張本人は、横川よかわ律師りっし 覚範かくはん と分かった。彼が、都から帰山するやいな、事態は、くつがえされていたのである。
金峰山きんぷせん 本坊や蔵王ざおう 権現を中心に、こんな山にも、従来からの確執かくしつ があった。執行以下、役々の座が、おのおの自我を張り合っている。そのうえ、南都興福寺系の僧と、半僧半俗を標榜ひょうぼう する修験者たちとの対立もあった。── だが、こんどの場合では、覚範は、対立の結果と見られることは、極力避けている風だった。
彼はただ、天下の権勢が、鎌倉の すしかない事実を、都で、知って帰ったところなのだ。── あまつさえ、帰山の途中、彼は、落武者らしい骨柄こつがらすぐ れた男と、眼もさめるばかりな佳人かじん が、雪をおか して、この山の吉水院を尋ねて行くのに、出会ってもいた。
「── 兄頼朝公からは勘当を受け、都をも追われたはずの判官どのが、大物だいもつうら では、多くの家来を死なせ、身一つ、この吉野にさまよい来て、一山の庇護ひご を乞いながら、何事ぞ、そのしょう にてもあるか、なま めかしき女性にょしょう蓑笠みのかさ に着せ隠し、仏地の一院に引き入れて、痴話ちわ くる うておるなどとは」
覚範は、静を見かけた次の日から、役々の座で、いいふらした。
特に、大衆の中では、
えん小角しょうかく 以来、われらは、先覚の後を慕って、身に十六道具をつけ、心にかい を結び、金峰きんぷ大峰おおみね大岳たいがく に、夏秋の修行はおろか、石に し、草を食らって、 菩提ぼだい の一念を ぐこと、夢寐むび の間も、怠らぬものを、世に敗れし名利の落武者が、ここへ来てまで、女性を伴い、霊地をけがすとは、何事か。そのような痴将を、鎌倉殿の命に背いてまで、かば てして、なんになるかよ。ばかな話しだ、愚の骨頂だわ。なんと、同行たちは、そう思わぬか」
と、 きつけた。
判官どのが、美しい女を連れている。吉水院の奥に隠れて、日夜痴夢におぼれている。
そのことは、修験大衆の反感をあお るに充分だった。義経への同情は、たちまち去った。そして、幾度かは、議論ともなったが、結局、十六日の夕、最後の評議では、
「── かず、山より追い出さん」
と、決定した。
そして、千丈、実生の両名へは、蔵王権現の執行から、一山の名をもって、
「いちどは、助けとらせた窮鳥なれど、世上へのはばかり、今は、かく まいおくわけにゆかぬ。なわ 打って、鎌倉方の手へ、引き渡さぬだけでも、大きな慈悲ぞ。早々、この山を出て、どこへなりと、落ち給えと、御房ら吉水院の者より、判官どの主従へ、しかと達せられよ」
と、きびしい申し渡しをくだ したのだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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