ところが、それもつかの間
、静がここへたどり着いた翌々日ごろからの変化だった。 大衆の間に、また寄り寄りな異論が出たとか、執行しゅぎょう
の次座たる律師りっし 覚範かくはん
の不在中に行われた談合だから、さきの議定は、総意でないとか、山は、おだやかでなくなった。 「ばかなこと。たれが、そんな異論を」 千丈や実生は、笑っていた。だが一日ごとに、異論は、けわしさを加え
「── 捨ておけじ」 と、彼らが、執行以下の役々の座へ、その腹を、ただしに出向いた時は、しでに遅かったほどだった。義経に対する山の態度は、がらりと変わっていたのである。 「──
はて、なんで?」 そのいぶかりも、すぐ解けた。 異論の張本人は、横川よかわ
の律師りっし 覚範かくはん
と分かった。彼が、都から帰山するやいな、事態は、くつがえされていたのである。 金峰山きんぷせん
本坊や蔵王ざおう 権現を中心に、こんな山にも、従来からの確執かくしつ
があった。執行以下、役々の座が、おのおの自我を張り合っている。そのうえ、南都興福寺系の僧と、半僧半俗を標榜ひょうぼう
する修験者たちとの対立もあった。── だが、こんどの場合では、覚範は、対立の結果と見られることは、極力避けている風だった。 彼はただ、天下の権勢が、鎌倉の掌て
に帰き すしかない事実を、都で、知って帰ったところなのだ。──
あまつさえ、帰山の途中、彼は、落武者らしい骨柄こつがら
の優すぐ れた男と、眼もさめるばかりな佳人かじん
が、雪を冒おか して、この山の吉水院を尋ねて行くのに、出会ってもいた。 「──
兄頼朝公からは勘当を受け、都をも追われたはずの判官どのが、大物だいもつ
ノ浦うら では、多くの家来を死なせ、身一つ、この吉野にさまよい来て、一山の庇護ひご
を乞いながら、何事ぞ、その妾しょう
にてもあるか、艶なま めかしき女性にょしょう
を蓑笠みのかさ に着せ隠し、仏地の一院に引き入れて、痴話ちわ
狂くる うておるなどとは」 覚範は、静を見かけた次の日から、役々の座で、いいふらした。 特に、大衆の中では、 「役えん
の小角しょうかく 以来、われらは、先覚の後を慕って、身に十六道具をつけ、心に戒かい
を結び、金峰きんぷ 、大峰おおみね
の大岳たいがく に、夏秋の修行はおろか、石に伏ふ
し、草を食らって、求ぐ 菩提ぼだい
の一念を研と ぐこと、夢寐むび
の間も、怠らぬものを、世に敗れし名利の落武者が、ここへ来てまで、女性を伴い、霊地をけがすとは、何事か。そのような痴将を、鎌倉殿の命に背いてまで、庇かば
い立だ てして、なんになるかよ。ばかな話しだ、愚の骨頂だわ。なんと、同行たちは、そう思わぬか」 と、焚た
きつけた。 判官どのが、美しい女を連れている。吉水院の奥に隠れて、日夜痴夢におぼれている。 そのことは、修験大衆の反感を煽あお
るに充分だった。義経への同情は、たちまち去った。そして、幾度かは、議論ともなったが、結局、十六日の夕、最後の評議では、 「── 如し
かず、山より追い出さん」 と、決定した。 そして、千丈、実生の両名へは、蔵王権現の執行から、一山の名をもって、 「いちどは、助けとらせた窮鳥なれど、世上へのはばかり、今は、匿かく
まいおくわけにゆかぬ。縄なわ
打って、鎌倉方の手へ、引き渡さぬだけでも、大きな慈悲ぞ。早々、この山を出て、どこへなりと、落ち給えと、御房ら吉水院の者より、判官どの主従へ、しかと達せられよ」 と、きびしい申し渡しを下くだ
したのだった。 |