〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part V-U』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十五) ──
しずか の 巻

2014/07/13 (日) つ ら ら すだれ (二)

毎日毎夜、屋根は、降り積む雪だった。ひさし には氷柱つらら のすだれが、溶けた日もない。
そして、昼も小さい灯を持つ帳の内には、静の と、義経の袖とが、重ね合う鴛鴦おしどり彩羽いろばね にも似て、こう の逃げるすきもないほど、深く垂れ込められていた。── あい うた日から、もう、まる五日である。ふたりは、ここの渡殿わたどの から表へは、一歩も出ていなかった。
灯皿ひざら の油は、ふたりの愛の泉に似ていた。 ぎさし注ぎさし、夜も昼も燃えたであろう。しかも、このままな巣籠すごも りが、いつまで、ゆるされるはずのないことを、静も義経も知っている。
いわば二人は、今を限りな思いであった。そうした切ない抱擁ほうよう や、愛の焼尽しょうじん を、型どおりな男女の秘戯に当てはめては不当であろう。帳をめぐらした中の二人は、地上を離陸した性の小鳥であった。神秘な官能の森の内に、動物の性そのままに生命をよろこび合い、動物の姿態の中に、なおまた、かぎりなくかな しい人間のさが も一つに住んでいたのである。
こうして、静が、ここへ来てから、はや五日目の今日も、暮れようとしていたころ、廊のどこかで、
── り、り、り、りん
と、鈴が鳴っていた。
従者の控えと、そことの間は、用心のため、ひき綱による鈴の知らせになっている。
すぐ、義経の影が、廊の端れに見えた。そして、渡りの橋越しに、
「弁慶か、何事ぞ」
と、こなたにぬかずいている武蔵坊の姿へ言った。
「は」
と、弁慶は、巨眼を上げた。辺りを見ながら、声を低めて、
「・・・・ただ今、正近が戻りまいたが、依然、吉野大衆のうごきは、昨日にも増して、なおけわ しげに見ゆる由にございまする」
当院ここ の千丈房は、帰ったか」
「いや、実生房じっしょうぼう ともども、前夜からまだ戻って見えませぬ」
「そうか。・・・・ぜひもない」
語尾を消した。そして、しばらく考えてから、また言った。
「千丈房が帰ったら、もいちど、鈴を鳴らせよ。すぐ参る」
「こなたへ、お渡りなされますか」
「うむ、しら せは、表の で聞こう。そのうえ、皆ともひざ組で評議をせねばなるまいし」
義経は、内へかくれた。
その間に、静は、しょくかず を、二つ三つ足していた。── その姿を見つつ、義経は、
「会うは、別れのはじめとか。静とも、もう別れる日は、近づいた」
と、ひそかに思った。
この吉水院に落ち着きを得て、静が来るのを待っていた数日間は、まだ、昨日 今日のような、険しい動きは一山に見えなかった。
子守ノ宮の神職文彦あやひこ 、ここの実生房、千丈房らの提議を れて、蔵王堂ざおうどう での大衆の評議は、すこぶる義経主従に好意的であったのだ。
で、文彦あやひこ も安心して、彼はここよりはつか奥の峰の、水分みくまり 神社へ帰ってゆき、実生と千丈の二人も、
「まずまず、年を越え給うて、来春の雪解ゆきげ を待ち、吉野が花の雲となる日まで、ゆるりと、おこにおわしませ」
と、自信をもって、義経主従へ、披露していたほどなのである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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