湯づけの接待をしてくれると聞いて茶屋四郎次郎は、急に空腹をおぼえていった。 そう言えば、すでに八ツ
(二時) を過ぎようとしているのに、今朝から何も食べていなかった。みな昼食は抜きにして、とにかく、熱心に情報の交換をしあっていたのだ。 「では、殿のお心はもう動かぬか」 ポツリと作左衛門が言い出すまで、茶屋はもはや話は済んだもののような錯覚を起こしていた。 「動かぬ。が、案ずるな、まだ関白はそのような無理は言い出すまい」 「それは茶屋どのの知らせでわかっていること。したが殿、よくよく心せられませや」 「食あたりでもするなと申すのか」 「ざれ言ではござりませぬ。この作左、予言してもよい」 「何を予言するのじゃ爺
は」 「このままでは、しだいに殿は、関白狸
にばかされる」 「まだ、その事か。もう止せ」 「止したいのじゃが止せぬほどに気がかりなのじゃ。殿は近ごろ、口を開くと、天下の為、日本の為と言う」 「それが男の本懐ではないと言うのか」 「その日本の為が、実は、関白狸の口癖が伝染したのだとはお気づきなさるまい。もうそろそろばかされておわすのじゃ」 「作左、もうわかった。止してくれ」 「いや、まだ予言は済まぬ。天下の為では関白狸の方が役者が上じゃ。こんど殿が上方
へ出向くというと、必ず狸は御台所さまを伴
って来いと言うて来よう」 「なに、御台所を・・・・?」 「さよう、大政所さまご病気ゆえ、見舞いかたがた連れて来いとな」 「ほう、それが予言か」 「まだある。そこで連れてゆくと、大納言だの階位だのと喜ばせた後で、御台所は京へ残せと言われるはずじゃ」 「それならば案ずるな。その方が御台所の仕合わせであろうゆえ、わしもそうする気でいるのじゃ」 「フン、それが関白の思う壺じゃ。ばかされ方が、そのあたりからそろそろ二段目に入ってゆく。殿は一人で戻って来る。するとこんどは御台所がご養子の長松君に会いたいと言い出される。かりにも母と子じゃ。嫌と言えずに差し出すと、それで於義丸君と二人お子が人質じゃ」 「ほう!
それは、なかなかおもしろいのう」 「次がござりまする。そのあとで小田原攻めじゃ。これも相手は役者が上の大狸、そのときすぐに先陣せよなどと、今川
義元 のような無理は言わぬ。どうせ勝てる戦
ゆえなあ。そしてそのあたりから恩と義理とでばかされ方は三段目になってゆく。もはや国替えを言い出されても、大坂城へ出仕を命じられても、手も足も出なくなろう。殿が、日本のために日本を、そっくり関白に献上してしまったことになろうでな。いや、これはいらぬことを話しすぎました。爺は急いで岡崎へ戻って、そうなった時の用意に骨のある家臣を訓練しておきましょう。すぐさま尾張を衝
かなければなりませぬからなあ」 そう言うとすでに腰元たちが膳を運び出しているというのに、作左衛門は白い眼をしてさっさと立ち上がっていた。 「茶屋どの、ご用繁多
ゆえ、一足お先に」 |