家康に話しかけられて、彦左衛門はニヤリとした。ようやく彼のも、家康と作左衛門の話の奥に、何があるかがわかりかけた。 「すると要するに・・・・」 と、彦左衛門は、双方を押えるような身ぶりで口を開いた。 「殿の仰せも、年寄りの話も、五十歩百歩のようで」 「なに五十歩百歩だと」 「さよう、有心は無心に通じ、無心はまた有心、そうであろうがご老体」 「禅坊主のようなことを言うな。人間には最後まで闘志がなければならぬ。闘志第一と申し上げたのだ」 「その闘志は、しかし・・・・」 と、彦左衛門は生
まじめに茶屋を見やって、 「天下第一等のことのために燃やす闘志でなければ匹夫
の勇になる。そこでご主君は天下第一等のこと以外は心にかけぬ。つねに無心でいようと仰せられる」 「平助!」 「まだお怒りかご老体は?」 「お手前、この年寄りに説教する気か」 「説教したとて、聞くご老体ではない」 「では、いまの能書
き、誰に向かって申しているのじゃ」 「これはしたり、独
り言 でござる。ひとり言というものは、大体自分の納得のために申すもの・・・・これ、相わかったか平助!」 自分に向かってそう言うと、彦左衛門はニヤニヤしながら茶屋の前で手を振った。 「松本どの、これでござるからの。関白が、うかつなことなど口になさると、蜂の巣を叩きこわしたようなことになりかねぬ。おそろしい士風でござるこれは・・・・」 「いや、心強いことで」 茶屋四郎次郎はようやく一座の圭角
がとれて来たので、ホッと大きくため息した。 「わしも、ただ、そうしたことを耳にしましたゆえ、不意打ちではと存じていらぬことを申しましたようで」 「松本どの」 「はい。これでもうすっかり安堵を」 「いらぬことではござらぬぞ。わざわざ下向くだされた値打ちは充分にござった。少なくともこの彦左衛門には・・・・いざと言えば殿は北近江に、ご老体は清洲から岐阜までおいである気とわかったからの」 「そう仰せ下されば、わしも面目が立ちまするが」 「そうなれば、この彦左はさしずめどこまで出て行くべきか。やはりこれは大坂城までまっ先に乗りつけねば相なるまいて、ワッハッハッハ・・・・おかげで、覚悟が決まりましたわい」 「平助」 家康は笑いを納めて、 「こんどの上洛はその方も伴うことにしよう」 「一番乗りをさせて下さりまするので」 「そうではない。作左の頑固さに手を焼いたゆえ、そちは今から世の中に引き出して、人になれさせておかねばならぬ」 「人になれさす・・・・まるで暴
れ馬のようなことを仰せられる」 「暴れ馬ではないと思うのか。その方たちに乗っていると、どこへ突っ走るかわからぬゆえ、わしもなかなか無心にもなれぬわ。のう茶屋」 家康はそう言うと、破顔
して小姓を呼び、 「湯づけの支度を」 と、みんなのために命じていった。 |