〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/17 (土) 無 心 有 心 (六)

家康は、じっと作左衛門を睨みつけたまま口をつぐんだ。
身を乗りだした作左衛門の表情に、言いようもなく哀しいものが動いている。
(こやつ、何もかも心得ていて抗っているのだが・・・・)
しかし、何のために、これほど強く、あやしい理窟をこねまわすのか? それが家康にはうなずけなかった。
「どうじゃ殿、まだ西郷の局が残された、尊い訓えが呑み込めませぬか」
「・・・・・・」
「局は、ついに殿を思いのままには出来なかった。ちょうど殿が、関白を思いのままに出来ぬように・・・・それを考えておあげなされ・・・・思いのままに出来ぬながら、最後まで闘うた。無心と見せたも、むろん闘い、いつも、一言も抗わなかったのも闘い・・・・それをほんとうの無心などと思い違いされては、局の霊は浮かばれますまい」
「・・・・・」
「局のわれらに残された訓えは、死ぬまで少しも心をゆるめず闘い続けたその闘志じゃ! そう受け取っておやりなされずば、局は地獄をさまよいましょうぞ」
とつぜん家康は、持っていた扇子せんす をパッと作左衛門に投げつけた。
「黙れッ小賢しい」
「ほう、怒られたな」
「その方たちに、闘志の指図など出過ぎたことじゃ。闘志などあり余っているゆえ堪忍が大切じゃと申したのじゃ」
「フン、臆病者も、すぐ堪忍を口にするものじゃ」
「まだ申すかッ」
叩きつけるように叱咤しった しながら、しかし家康はすーつと胸のつかえが降りていった。
作左衛門の目的にハッと気がついたからであった。作左衛門は茶屋を警戒している。
むろん茶屋の心事を疑っているのではなく、彼の交友関係から、もし万一漏れる恐れのある徳川家の士風や性根のあり方・・・・について警戒している。
仮に四郎次郎が、
(── 家康の方針は、もはや秀吉に抗わぬつもり・・・・)
などと信じ込んで帰ったら、さおれが何かの折の話の末に、弱気な匂いになって出まいものでもない・・・・と、それを案じているらしい。
(こやつ、茶屋にまで心を許さぬ)
家康は、そこでぐっと四郎次郎に向き直って、
「聞いたか茶屋、この年寄りの頑固さを」
「はッ・・・・」
あき れたものじゃ。モノを言い出すと主従の見境もなくなるのじゃ」
「それが、しかし、得難いご家風かと」
「みながそう言うゆえ、作左など、いよいよつけ上がる。作左ッ!」
「なんじゃ殿」
「その方、それだけ予にさからうからには、策があってのことであろう。聞こう。仮に関白が国替えなどの難問を申し出たときには、そちはどう切り抜けてゆく覚悟じゃ。むろん家康にも策はある。あるゆえたずねる。そちから申せ」
と、作左衛門はあざ笑ってひと膝のり出した。
やはり、家康の見たとおり、茶屋に見せようための狂言であったらしい。

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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