〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/17 (土) 無 心 有 心 (五)

作左衛門の暴言に、家康のひたい が一度に赤くなった。
ほかのことではない。しみじみと亡い人の追慕ついぼ にふけっている折に、胸いっぱいの怨みを抱いて死んだのだと言われたのだから無理もなかった。
「作左! 言葉が過ぎようぞ」
「過ぎませぬ。ただ殿の見方よりも、ちょっと鋭い見方を申し上げたまでのことじゃ」
「その方・・・・では、お愛がわしに心服していなかったと申すのか」
「ふん、心服とは何のことじゃ。心服してあれば・・・・愛情を抱いていれば、闘いはないものと言わっしゃるか殿は」
「聞こう作左、お愛無心にはわしに仕えたのではないと申したな。どのような下心があって仕えたと申すのじゃ」
「ハハハ・・・・それがとぼけた訊きようじゃ。築山御前の生き方も闘い、西郷の局の生き方も闘い、お二人の間に何の差異があるものか」
「ふーむ。これは聞き捨てならぬ。一方は事ごとにあらがって、いまだわしの胸へ不快な想いを残して き、一方はわしに一つの光を贈って世を去った。その二人の間に差異がないとは、どこを見て申す言葉ぞ」
「これはまた、殿のお眼の狂いよう・・・・さてさてしのようなお眼で人間を眺めておわしたのか・・・・殿は」
言いざまぐっと膝をのり出して、
「築山御前も西郷の局も、どちらも殿を思いのままにしたかったまでのことじゃ」
「それで一方はいよいよ怒らせ、一方はわしの心を掴んだ」
「フン、そこからお眼が狂いだしている。一方は抗うことで殿に勝とうとし、怒らせていまだに殿の心へ残る・・・・これは小さな勝利じゃ。それに引きかえ西郷の局は、殿のわがままを忍びに忍んで、無心に仕えて勝とうとしたまま死んだ。その意志はよそおうた無心さでいつか、殿を征服しようというのにあった。それゆえ一途に愛したなどと取られては、とんだ当てちがい、わが意志と違ったものを残したゆえに敗北じゃ」
「こやつめが・・・・」
家康は、自分で自分がおかしかった。
作左衛門がこのような抗い方をするときは、必ずほかに目的のあるときと、わかりきっていながら今日ばかりは怒りが制しきれなかった。
(大人気ない!)
心のどこかで苦々しげに叱る声を意識しながら家康もまた、ぐっと上半身を脇息に乗り出した。
「作左ッ!」
「あまだおわかりなされませぬか」
「するとうぬは、築山どのの生き方がよいと曲言きょくげん するのだな」
「何とわからぬ殿じゃ。そうではない!」
「では、どうじゃと申すぞ!?」
「築山どのも闘い、西郷の局も闘い・・・・そして前者は少しく殿に勝ち、後者は殿に敗れたといっている」
「なぜ一方が勝ち、一方が負けたのじゃ」
「言わいでものことを。築山どののころには殿が弱かったのじゃ。西郷の局のおりには殿は強く意なっていた。そこで勝ったと申している。勝った方が殿のお胸はこころよ い・・・・この理を男の世界でもお忘れあるなと申しておるのじゃ。強者の位置にお立ちなされと!」
そう言うと作左衛門は老いたがま のように、ぐっとあたりを睥睨へいげい した。

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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