「本当に眠ってしまった様子じゃの」 「作左衛門が言うと、彦左衛門はホッとしたように、 「されば、ここもと、西郷の局の仏事などで、いささか拾うなされておわすゆえ」 「彦左」 「なんでござる」 「やはり、殿は、ご落胆なされておわすか」 「ご落胆なさらねば人ではござりますまい」 「小理窟を聞いているのではない。身にこたえておわすかどうかと聞いているのだ」 「これはしたり、小理窟など申しているのではない。身にこたえぬはずはなかろうと・・・・」 「それが小理窟じゃ。こたえようにもいろいろあろうが」 「いろいろとは、どのようないろいろでござる」 「呆れた男だ。骨肉の疲れか、心の打撃か、それがそばで見ていてわからぬのか」 「それならば双方でござる。何しろ西郷の局ほど、黙々としながら内助なされたお方はござらぬゆえ」 「フン」 「フンとは何でござる。ご異存がござるのか」 「フンとは鼻の尖
で笑うた笑いじゃ。内助の功など、おぬしに説かれずともわかっているわ」 「いやはや、小理窟の多い年寄りじゃ。それを忘れて、彦左が小理窟を申すなどと・・・・」 本多作左衛門は、もうそれには取り合わずに、茶屋四郎次郎に向き直った。 茶屋はハッとしたように白扇の手をとめて、何を訊かれるのかと待ち受ける構えになった。 作左衛門はそれにも
「フン」 と一笑
を投げておいて、 「殿が眠っているほどゆえ、案ずることもあるまいが・・・・」 と、声を落とした。 「仮に関白に国替えの下心があるものとして、殿を大坂表へ祝儀にやったとしたら、いったい関白め、どのような扱いをすると思うぞ」 「さればでござりまする」 茶屋は、家康の呼吸をはばかるyぷに、 「道々、あれこれと考えてまいりましたが、関白はあのご気性ゆえ、おそらくこんどなどはただただ隔意
なく、叙位任官のことなどお取り計らい下さることと存じまする」 「なるほどのう」 「もはや於義丸さまが三河の少将、それゆえお館さまには正二位、権大納言
ぐらいのことは・・・・」 「フン、何の腹も痛まぬ鼻薬
だからの」 「それにあるいは、長松丸さまにも、叙位のうえご元服のことなど」 「なるほど、於義どのが秀康と関白の名乗りの秀の字をおしいただいている。長松丸君もそうなろうのう。いずれにしろ、腹の痛まぬカラ恩売りじゃ」 そう言ってから作左衛門は、かたわらの彦左衛門に向かっていった。 「平助、殿を起こせ。われらのことではない。お家のことじゃ」 そう言われると彦左衛門は、家康の耳もとに口を寄せて、 「殿!」 と、途方もない声でどなった。 |