お吟は良人を
「死 ── 」 の手に取られて失った。 が、ガラシャ夫人は生きてあるままで失っているのではなかろうか・・・・? 夫人の良人の細川忠興は、いまもまだ武将として出世をめざして営々と励んでいる。それなのに夫人は、その欲念のたどり着く究極を、すでにハッキリと見てきている。 織田信長の生涯で。 実父明智光秀の生涯で
── そして、それらの欲念を超えたものをめざして生きようとして、そこに 「信仰 ── 」 を見出している。 (天帝
の愛!) そうした夫人の目に映ずる良人は、お吟の目に映じた良人の宗全よりもかえって醜い異教徒に見えているのではなかろうか? 「── 女は悲しい!
でも女は強い!」 そう言った夫人の言葉の中に、夫人の夫婦生活の不幸が大きく影を落としているような気がしてゾーッとなった。 いやそれは決して夫婦の仲だけの問題ではあるまい。夫人の目にはもはや世の中の一切が、悲しく哀れな一幅
の戯画としか映じないのかも知れない。 関白も、そして三成も良人も・・・・お吟も茶屋四郎次郎も・・・・ 「ホホ・・・・」 お吟の顔色の曇ったのを、夫人はまた敏感に感じとったと見えて明るく笑った。 「どうやらお吟さまも、わが身の行く手に立ちふさがる大きな山の姿を見つけたような・・・・」 「行く手の山・・・・でござりまするか・・・・」 「そうじゃ。これは石田どの一人のことでもなく、関白お一人のことでもない。人間すべての行く手にある山じゃ・・・・が、それはまたのこととして、茶屋どのは、何か特別なご用があって立ち寄られたのでは?」 「いいえ!」
じっと考え込んでいた四郎次郎はあわてて視線を婦人に戻して首を振った。 「ただ、大坂へ参りましたゆえ、ご機嫌うかがいにまかり出たまででござりまする」 「それならば、もう一つお土産
を差し上げましょうかなあお吟どの」 「はい・・・・あの茶屋さまに?」 「そうじゃ。このお土産は少々重いが・・・・」 夫人はもう一度あでやかに笑って、 「なあ茶屋どの」 「・・・・はいッ」 「九州からご凱旋なされたら、こんどは小田原とはお分かりのはずじゃ」 「そ・・・・それは、そうでござりましょうが」 「小田原の次はどうなろうかの。それを思うてみたことがおありであろうか」 茶屋四郎次郎はギクリとしてその眸を夫人に釘づけにしていった。 四郎次郎もまた、一緒に淀川をのぼったおりから、夫人を並の女性ではないと見抜いていた。その叡智
が数々の苦難を経て来て、いよいよきびしく磨き出されている。それだけに、世間の動きをそのまま映す鏡のような眼を持っているとは信じていたが、小田原の先に先まで考えていようとは思い及ばなかった。 「小田原の次に来るもの・・・・それは、いったい何でござりましょうか奥方さま」 「簡単に言えば、徳川どのの危機であろうなああお吟どの」 お吟は、またわが名を引き合いに出されて、あわただしくまばたきをくり返した。 むろん彼女にそんな見通しなどありようはなかった。 |