〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/14 (水) 蜘 蛛 (七)

夫人は茶屋の表情の動きを敏感に読みとった。
ご朱印船の認可や、大茶会のご用達ようたし を命じられる背後には、何か茶屋を困らせる 「条件 ──」 がついているに違いない。
夫人には、そうした三成のうごき方が哀れでまありおかしくもあった。
「治部さまは武功の高い荒小姓あがりの方々に負けまいと、お政治向きのことで人一倍ご熱心のようじゃなあ」
「は・・・・はい」
と、茶屋は顔色を固くして口ごもった。
「あれほどお気を使われずとも、戦はしだいになくなろうゆえ、ひとりでに治部さま万万歳のご時世になろうものをなあ」
「は・・・・はい」
「こなた、治部どのが、いちばん心にかけておわす武将の名をご存知か」
「いいえ、そのような儀は」
「教えて進ぜよう。徳川どのじゃ」
夫人はずばりと言ってからお吟を見返って、
「なあお吟さま」
と、意味深げに微笑した。
茶屋四郎次郎の表情には再び、かすかな狼狽の色がうごいた。
夫人はちょっと、自分に嫌悪を感じた。
(そうしたことを素早く見取って喜ぶ人の悪さが、自分にはある・・・・)
しかし、それはふしぎな形で、いっそうハッキリと茶屋に向けられた。
「茶屋どのが、治部さまに内を命じられておいでか当てて進ぜましょうか」
言ってしっまってハッとしたが、言い出すとそのまま後へはひけなかった。あるいは自分の想像の違っていることを、自分で確かめようとする自虐かも知れなかった。
「これは恐れ入りました。そのようなことは・・・・」
「ないとお言いなさる。すると、いよいよあったと思う。ホホ・・・やはりわらわは明智の娘じゃなあ茶屋どの」
「恐れ入ったご冗談でござりまする」
「よいか茶屋どの、九州の軍事が済むと、今度は小田原じゃ」
「は・・・・それは・・・・そうかも、知れませぬが」
「そこで治部さまは、まず徳川家に がせられた朝日夫人を取り戻そうとなさる。口実は大政所さまご病気のお見舞いに・・・・そして、そのあとで徳川家へこんどの敵のお先手さきて をなあ」
茶屋四郎次郎は明らかに驚嘆きょうたん したようであった。
「ホホホ・・・・」
と夫人は楽しむように笑っていった。
「当たりましたなあ、悲しいことに」
「はい、それは・・・・」
「お案じなさりまするな、近ごろのガラシャはうらな いをやりまするのじゃ」
「ま、まことでござりまするか」
「ホホ・・・・、人間はの、美しいものが見え出すと醜いものも同時に見える。見えるゆえ不幸になってもやむないものじゃ。ご朱印船は許そうほどに、徳川家の様子を探れ・・・・わらわが男であったら、やはりそのようならち もないことを考えるかも知れぬ」
そこでまた夫人は、お吟をかえりみて、
「女子はかなしい! でも、女子は強い! なあお吟さま。女子は、一途いちず に美しいものを求めて歩けるものを」
お吟はなぜともなしにゾーッと背筋に寒さをおぼえた。

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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