茶屋四郎次郎ならばどちらもよく知っている。それも堅苦しいご用商人としれではなくて、堺衆ともよし、茶事にたずさわる人ともよい。 世間には茶屋と本阿弥光二とは徳川家の密偵・・・・そんな噂もなくはなかったが、夫人はそうしてことを問題にしなかった。 本能寺の変のおり、光秀の娘と知りながら、暗
に自分をかばってくれた茶屋の心を、荒
んだ武人などよりもずっと奥深い、高いところをめざす性
と見抜いている。 お吟も茶屋を嫌いではなかった。 堺衆がいっぱんにうわべだけの風流や気位
をよそおうのに、茶屋四郎次郎にはそれがなかった。 強
いて言えば泥臭い。それだけ素朴さと誠実さを身につけて、頼りになりそうな感じであった。 「茶屋どのは、近ごろ北の政所さまのおんもとへもお出入りを許されているそうな。世間話を聞くとしましょう」 「ほんに、今まですっかり世間と遠ざかり、うかつ者が、一層うかつになりました」 お吟がホッと吐息をしながら答えると、 「したが、さっきの話なあ」 内証に・・・・と、意味であろう、そっと唇へ手をあてた。 そこへ阿霜が茶屋四郎次郎を案内して入って来た。阿霜は年もすでに三十路
に近く、この細川家の奥では侍女頭といった地位のどこまでも気丈な女であった。 「奥方さま、お客様のこともお話しましたところ、茶屋どのはひどくお喜びなされておりまする」 「これはこれは、ご無沙汰申し上げました。いつもお変わりなくいらせられ、恐悦
しごくに存じまする」 きちんと夫人に挨拶してから、改めてお吟に向き直った。 「もうよい」 と、夫人はさえぎった。 「深いなじみ、改まった挨拶よりは、堺で太鼓を習うたころの想いで話も、なあお吟さま」 「はい。懐
しゅうござりまするあのころが・・・・して、茶屋どのは、北の政所さまのご用でも」 「はい。いいえ」 茶屋はどこまでも隔意
のない態度で、 「関白さまがお戻りなされますると、こんどはご朱印船を仰せ下され、いよいよ海外との交易が許可制になりまするそうで」 「ほう、それをこなた、どなたにおききなされたのじゃ?」 「はい。一足先にお帰りなされた石田治部少輔さまからうけたまわりました。こなたもご許可を願い出ておいた方がよろしかろうとご親切に」 「石田治部さま・・・・」 夫人は三成の名を聞くと、チラリとお吟の方を見やって、それから言葉をそらしていった。 「治部さまも、ご出世をなされたものじゃなあ。今ではすっかり関白殿下の執事
のようじゃ」 お吟は何も気づかなかったが、夫人の表情にはふと蔑
みの色がうごいた。 あるいは夫人がお吟にくれぐれも注意した蔭の人とは三成を指しているのかも知れない。 {それで、茶屋どのも願い出たのじゃな」 「はい、それはもう・・・・これからの日本国は、一日も早よう海外へ出ませぬことには・・・・」 「治部どのの肝煎
りならばお許しは出るであろう。して、京で開かれる大茶会の話は出までなんだか」 「はい、その事でも、いろいろとご用を」 そこまで言って、今度はちょっと茶屋の顔が曇っていった。 |