よほどご気になる確証のない限り、このようなことをうかつに口にする夫人ではない。 それが譬
え話にことよせて、身震いの出るような考えれば考えられる奇怪な忠告をしたのだった。 (きっと、その相手も知っているに違いない!) そう思うと、お吟は重ねて訊かずにいられなかった。 しかし夫人はゆるく首を横に振るだけだった。 「それは申せませぬ」 「と、仰せあれば、ごもっともながら・・・・」 「お吟さま」 「はい」 「どこの世界にも、ねたみや競いはあるものと、こなた、さっき言われましたなあ」 「たしかに、それは申しました」 「それだけでよいではないか。それだけのことなのじゃ」 「利休居士の茶に寄せる心の深さは、なかなかもって並の人々にはわかりかねる」 「ほんに、それは・・・・」 「それゆえ並の人々は居士が堺衆のために関白殿下を思いのままにあやつるものと解してゆこう」 「それが、ねたみの原因とは納得できまするが・・・・」 「さすれば、豊家
の功臣たちは、武功派も文治派も、あげて居士に好意は持ち得ぬわけ。それを心に入れられて、とにかく、関白のお目につかぬようになさるがよい。蔭
でそのような話の出ている折に、こなたが、そのあでやかさで花の香を撒
かぬことじゃ」 「まあ・・・・」 「いやらしいものよなあ、浮世
のことは」 「ほんに、私は万代屋の一族の煩
いからものがれ、京でひっそりと子たちを育てたいと思うておるのに」 「それもこれも、こなたの罪じゃぞえ」 「私の罪とは、ひどい仰せ・・・・」 「こなたが美しゅう生まれたゆえ、後家になっても騒がれる。美しゅう生まれた罪じゃ」 語尾を再び投げ出すように軽くして、夫人は
「ホホ・・・・」 と笑っていった。 しかしお吟は笑えなかった。 今まで宗全の看護や子たちに気を取られて、考えても見なかった一点の黒雲が、急に胸いっぱいに不吉なひろがりを見せて来た。 そう言えば、父の利休はたしかに、三成にも長盛にも好かれてはいないようであった。 いや、荒小姓あがりの、加藤、福島などに至っては、茶事そもののに反撥を感じているかも知れないのだ。 戦場と茶。 血と侘び。 その相容れないものの相克
が、お吟母子の将来を包み込む・・・・そうなれば、お吟は蜘蛛の巣にかかった一匹の蝶にすぎない。 秀吉の意地と利休の意地の間に挟まれ、どのような羽搏
きをしてみたところで、わが意志など通しきれまい・・・・ 「申し上げます」 と、入り口で声がした。夫人の気に入りの侍女の阿霜
であった。 「ただいま、京の呉服商人茶屋
四郎次郎 どの、ご機嫌うかがいにまかり出てござりまするが」 夫人はチラリとお吟の顔を見やって、 「ちょうどよい。お通しなされ」 |