〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/13 (火) 蜘 蛛 (四)

「仮に・・・・」
と、言って、細川夫人は娘のように軽く明るい口調になった。
「こなたのことを関白殿下に告げてゆく」
「なんというて告げるのでござりまする」
「堺いちばんの嫋女たおやめ が、女盛りの孤閨こけい をかこっておりまするとなあ」
「まあ! 奥方様が戯れ言を」
「戯れごとでよいのじゃ。この堺一番の嫋女は、子を産む達人にござりまする」
「これは・・・・何ということを!?」
「病身の宗全どのに嫁いでさえ、またたく間に二人の子をもう けた。この女子ならば、あるいは関白のお子もすぐに・・・・」
そこまで言って、夫人は厳しく表情をしめ直した。
「なあ、もしそのようなことを言うてすすめる者があったら、関白殿下もそのお気になられぬものでもあるまい」
「なられたところで、父が承知はいたしませぬゆえ・・・・」
「そのことじゃお吟さま!」
婦人はそこでいっそう低く声をおとした。
「利休居士はあのご気性ゆえ、きびしくお断り申すであろう。ほかのことならとにかく、侘び茶道でご奉公する身なれば、その儀ばかりはご免下されたしと・・・・」
「そのとおり・・・・と、存じまする」
「居士としては娘を差し出して出世を計った・・・・そう噂されては茶道の権威が地におちる。一世を指導してゆく人となるか、それともらだの茶坊主になり下がるかの境ゆえ、生命を賭けてもきき入れまい」
そこまで言われて、お吟は不意に膝をたたいた。はじめてハッと夫人の言葉が、鋭く胸を刺して来たのだ。
「まあ、では、そのようなことを企むお人が!?」
「あってもその罠に落ちぬよう」
お吟は全身を固くしてうなずいた。
なるほどそうした順序で罠の用意をしていったら、父と秀吉の離間は計り得るに違いない。
たとえ誰が何と言おうと、利休は断るに違いなく、断られると関白も不快なしこり・・・ が残るであろう。
ほかのこととは違うのだ。男というものは、いったん口外した男女の間の話には、際限もなく愚かなもつれを見せるもの・・・・秀吉とて、おそらくその埒外らちがい に立ち得まい。
それに近ごろ秀吉は、
「── 子供が欲しい!」
と、政所の前でも、
「── こなたが子を産んでくれたらのう」
時々そう言って、叱られたり、淋しがらせたりするということを、お吟も曾呂利に聞かされていた。
そんなときに、子供を儲ける名人・・・・とはまた、何といういや しく、しかし、相手の心を衝いてゆく声であろう。
お吟は思わず身震いした。
「── 天下のことは思いのまま」
口癖のように言っている秀吉が、そうした事から父の利休を口汚く罵っているさまが、ふっとまぶた をよぎったのだ。
「奥方さま! そこまでご注意下さるならば、その相手・・・・それもご存知でござりましょう。お洩らしいただけますまいか」
お吟の顔はいつか血の気をなくしていた。

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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