細川夫人は侍女の運んだ茶をお吟にすすめてから、 「こなたはそれからの噂を知らぬと見える」 「それからの噂・・・・と、仰せられると」 「姉妹もただならぬこなたのことゆえ、打ち明けましょう。宗安どのはこなたを離別してご奉公させる気と聞いたぞえ」 「ご奉公と・・・・は、どなたのもとへ」 夫人はまた痛ましそうに視線をそらして、 「その事は宗安どのも言われまい。あまりに醜い身勝手ゆえなあ」 「まあ、そのようなことは少しも・・・・」 「ご奉公先は関白さま・・・・と、洩らしたらお前さまにも、少しは心当たりがあるであろう」 「いいえ、少しも」 お吟は甘えた様子で首をかしげてから、何を思い出したのか小娘のように笑いだした。 「そのような噂なら、少しも怖くはございませぬ。ホホ・・・・」 「と笑ってござるが、笑い事ではなさそうに思える」 「まあ奥方さままでそのような・・・・そんな噂は根もないことでござりまする」 「根もないことでは、なさそうに聞いたが」 「いいえ、関白殿下がこれから暇
ができるゆえ女房狩じゃ・・・・はい、これは亡くなられた右府さまのお若いころを思い出されての戯
れ言 でござりましょう。その折に新左どのが、宗易の娘に嫋女
があるなどと座興を申し、それが根もない噂になったもの・・・・お案じ下さりまするな奥方さま」 しかし夫人はまだ眉をひらかなかった。 「それならばよいのだが、・・・・わらわの耳にしたものはもっとなあ」 「まことしややかな噂に育っておりますりゅか」 「お吟さま!
人ごとではないぞえ」 「はい、謹
んで拝聴 いたしておりまする」 「またそのようなざれ言を・・・・」 夫人はそう言ってからもう一度真剣に首をかしげて考えて、 「とにかく京へ移られたら、上様にはなるべくお目にかからぬよう、心したがよいぞえ」 「まあ、まだ、そのようなことを」 「お待ちなされ、こなたは何も知らぬのじゃ」 夫人はお吟を軽くおさえて、 「堺衆の中にも、こなたが上様のお側にあれば好都合と思案する者がなくはあるまい」 「それは、もしあっても、父が許しませぬ。許す父ではござりませぬゆえ、お案じ下さりまするな」 「それじゃ、その居士の気性を計算に入れて、事を計らう人があったら何としやる」 {は?」 とっさに意味を解しきれず、お吟は少女のようにポカンとしたあどけない表情になった。 「父の気性を計算に入れてとは・・・・?
それは何のことでござりまする」 「お吟さま、男たちはの、醜い策略ごとの好きなものじゃ。眼のはなせぬ身勝手者ぞろいじゃ、仮に、堺衆の中に、こなたの容色を利用する者があると同じように、利休居士の気性を利用して事を計ろうと狙う者もある道理・・・・それゆえわらわはこなたに忠告しているのじゃ。上様のお眼に触れぬようにとなあ」 お吟はもう一度、クスリと笑って、それからまじめに訊き返した。 「もう少しうかがわねば、何のことやらわかりませぬ。私には・・・・」 |