〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/12 (月) 蜘 蛛 (一)

ここは大坂城の大手外に新築された細川忠興ただおき の屋敷うちであった。東北に城を仰いでこの屋敷の通用門をくぐって行くと、奥向きの玄関は真南にあたっている。
万代屋もずや 宗全の後家おぎん は、門番に案内されて玄関に入ると、そこで十八、九歳のおとなしい侍女に引き渡された。
二人の子供を父の邸に預けて、東へ居を移す途中で、忠興夫人のガラシャを訪ねる気になったのだ。
前もって来意は通じてあったので、客間へ通されるとすぐに夫人はやって来た。どちらも花ざかりなのだが、良人おっと の看護疲れのまだ えきらぬお吟の方が面やつれして若く見え、夫人の方がふくよかに肥えていた。
「おお、お吟さま、ようこそお立ち寄り下された」
「これは奥方さまには、お変わりのうて何よりに存じまする」
「と、言う固苦しい挨拶はぬきにして」
そう言って十字を切った夫人の胸には今日も銀の十字架クルス がかけられている。
「宗全どのは思いがけないことであったなあ」
「はい、これも宿世すくせ のさだめでござりましょう」
「して、お子たちは?」
「父の留守宅に預けて参りました」
「いくつになられたであろう。あれからもう五年になる・・・・」
「はい。上が五つ・・・・下が三つ」
「こなたも私もふしぎな父を持って生まれて」
夫人がそこまで言いかけると、お吟はあわてて手を振った。
夫人の父は明智光秀、お吟の実父は松永久秀。どちらも信長や秀吉を敵にして果てている。しかしそれに触れるのは、いまのお吟にとって二重の苦痛であった。
「私の父は、利休のほかにはござりませぬ。よい父でござりまする」
「そうそう、そうであった。して、これからは京へお住居とか聞かされたが」
「はい。京もなるべく父の住居の近くに・・・・それも今度関白がご凱旋なさると、前代未聞の大茶会があると聞きましたゆえ、子たちを伯父に托して引き移ることにいたしました」
「それがよい。胸の病は子たちにもうつると神父が申された。居を移せばまた気も晴れよう」
言ったあとで夫人は、ちょっと声をおとした。
「したが、こなた、ご存知であろうな」
「何を、何を、でござりまする?」
生まじめに訊き返されると、夫人は笑って開け放された縁先から中庭へ視線を移した。
「まだ言わずにおいた方がよいかも知れぬ」
「と、聞くと気がかりな。何でござりまする」
「やっぱり言うたがよいか・・・・用心に越したことはないゆえになあ」
「いよいよ気がかりな、仰せられませ」
「お吟さま、こなた、妙な噂をお耳になされなんだか。宗安どのの亡くなる前に、こなたの離別を考えられたとか」
「その事ならばうかがいました。噂でのうて、宗安どののお口から」
「まあ それでお前さまは何とお答えなされたのじゃ」
「ただ笑うておりました。おかしなものでござりまするなあ奥方さま、亡くなった宗全どのを子たちの父・・・・と、思うだけで、お吟は再縁などの考えられない女子になっておりました」
案外晴々と言ってのけるお吟の前で、なぜか夫人は苦しそうに眉根を寄せてため息した。

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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