「申し上げまする」 と、お愛は言った。 「お言葉に甘えて、寝たまま申し上げまする」 「それがよい。さ、聞こう」 家康は片手をお愛の肩においたまま、片手でそっと涙を拭いた。 (おそらく、これが、この女の最後の言葉になるのでは・・・・) そんな不安が募って来る。想ったよりも、お愛の病気の重さがしだいに感じ取れるからであった。 そう言えば、この女は並み大抵のことで寝込む女ではなかったのだ。寝込んだときにはもう
「枯れるとき」 と、気のつかない自分のうかつさが憎かった。 「お笑い下さりまするな。あるいはもう、お館さまには、よく心づかれておわすことかも知れませぬゆえ」 「おう、何で笑おうぞ。申してみよ」 「お館さま、ここまでお忍びなされたものゆえ、関白殿下とは、お争い下さりまするな」 「なに!?
そ・・・・それが・・・・こなたの願いなのか」 「はい、於義さまをご養子におやりなされ、御台
さまをお迎え遊ばされた・・・・若君さまは、御台さまのお子でござりまする」 「ふーむ」 「そのご両家がお争いなされては、今までのなさり方はみんな嘘・・・・それでは神仏がお怒りなされましょう」 「・・・・・・・」 「お館さまのご生母さまも、浜松のお城へお出
での節、神仏を偽 っては栄えはないとくれぐれも仰せられました。しかも、お館さまがお忍び下されば、民
百姓は戦の苦から救われまする・・・・西からの難題が出ました折には、東へ、東へ・・・・と、お避けなされて下されればと・・・・これもご生母さまと申しあったことでございまする」 家康は黙って腕を組んでいった。 この女から、このようなことを聞こうとは余りにも思いがけなかったが、それもこれもよく考えてみると、自分のうかつさだったらしい。 物言わぬ草木の心を心としようと誓うほどの者ならば、それだけ深く観察の眼も開けているはずであった。 「お許しなされて下さりませ・・・・東へ、東へ・・・・そうお願い申しておこう・・・・考えたとで恥ずかしゅうなりました。そのようなことにお気づきないお館さまではない・・・・これは、あるいは、若君さまのお身の安泰
を願う、お愛の煩悩
ではなかろうかと・・・・それで、途中で口をつぐんだのでございまする」 「お愛!」 「許して下さりまするか。心の戒めを破りました」 「よくぞ申した。こなたの言うとおりじゃ」 「もったいない・・・・お許しくださりませ」 「が・・・・案ずるな。家康もな、そのつもりゆえ、こうしてこの城へ移って来たのじゃ」 「それゆえ恥ずかしゅう・・・・」 「いや、そうではない。神仏を偽る者に栄えはないの一言、肝に銘じて覚えておこう。家康ばかりでない長どのにも、天下
人 になるならぬは別として、天下人の心で生きよ。民百姓と神仏を怖れよと、よく申し聞かせておくとしよう」 そこまで言うと、お愛の方はいく度も小さくうなずいて眼を閉じた。 双の眼窩
に、ポチリと涙がはみ出ている。 疲れきったと見えて、すぐに小さな寝息になった。 家康はまだその寝顔から眼をそらさない・・・・ |