家康は、しばらく黙って撫でるようにお愛の方を見つめていった。 浜松の城で、がじめてお愛を見かけたときの、あの愕きと若さとが昨日の事のように想い出された。家康にとっては初恋の女、飯尾豊前
の後家の幽霊・・・・そんな気持で胸をおさえて見惚れていったのを覚えている。 そのときはたしかに焼け残った老梅にまっ白な花が、五、六輪、吹きつけられた雪のように咲いていて、お愛はまだ十九歳の若さであった。 すでに嫁
して子を産んでいる女 ── そんな陰はどこにもなく、おずおずと家康を見上げたまなざしに新月の匂いがあった。 家康はふと視線をそらして、 (わしはいったい、この女に何をしてやったであろうか・・・・?) それを想い返さずにはいられなかった。 自分では、心のそこから愛したのは、この女ひとりであった・・・・そんな気持で接していながら、実は苦しめ通して来ていたらしい。 その証拠に、肩はとがり、首は細まり、胸はしぼみ、血はうせてしまっている。 (この女は奥のことを、黙って任してよい女・・・・) そうした信頼は、女にとって果たしてそのまま受
け容 れられる幸福であったかどうか・・・・ 信頼と言う言葉のおかげで、平然と無視して来ている。 於義丸の母の於万
の方や、築山 どののように、うるさくまつわり着いたり、反抗したりする様子はみじんもなく、離せば黙々と働き、抱けばうっとりと眼を閉じる。 誰からも親しまれ、誰にも敬
まわれていながら、それを誇ろうとする様子はなく、いつも遠くで家康をはばかりながら見守って来ていた女・・・・ 男はそうした女をしだいに無視して、もっと手数のかかる小悪魔に心を惹かれるものなのだろうか・・・・? もしそうだとすれば家康は、償い難い過ちをお愛に強いて来ていたことになる。 「お愛・・・・」 「は・・・・はい」 「苦しそうじゃ。やすめ、横になってよいぞ」 「はい・・・・でも・・・・」 「よいのじゃ。そなたが起きていると、わしはすぐに起たねばならぬ。しばらく話してゆきたいゆえ、身を横たえよ」 そう言いながら侍女に眼くばせすると、 「お館さま、それがしはこれにて遠慮いたしまする」 大久保彦左衛門はそっと部屋を出て行った。 お愛の方はもう侍女の介添
えをしりぞけはしなかった。 おとなしく寝かされて、枕に右頬をつけたまま、またたきもせずに家康を見上げている。 「苦しいか」 「いいえ」 「医師は、何と申したぞ」 「無理はせぬようにと申されました」 「無理はせぬようにと・・・・」 家康はこれも相手から眼を離さず、 「無理をし通したのう、こなたは」 そう言うと、急に胸元へ切ないかたまりがこみあげた。 (これほど重いとは知らなかった!
許してくれ・・・・許して・・・・) |