長松丸のことゆえ、決して父を困らせようと策しての問いではあるまい。 しかし、生母と義母と、いずれが尊いかなどと生
まじめに問いかけられると、これは家康の大きな隙を突く言葉になった。 (何を考えてこのようなことを言い出したのか?) 相手がまじめ一方なわが子だけに、あいあまいなあしらいでも済まされず、さりとて突嗟
に答えようもない。 「長どの」 「はいッ」 「お許は、その二人の母のうち、どちらかが気に喰わぬとでも言いたいのか」 「いいえ、どちらも好きでござりまする」 「それではそれで、よいではないか。何が腑に落ちぬのじゃ」 「腑に落ちませぬ。城はもう八、九分まで出来上がったかと存じまするが」 「うむ。それで・・・・」 「生母の住まう長局
は出来上がり、すでに移って参られましたのに、義母の御殿の出切る様子はござりませぬ。その意味が、長松丸には呑み込めませぬので・・・・」 家康は、ドキッとして、思わずあたりを見廻した。 そう言えば、家康は、朝日姫を浜松城にそっとしておいてうあり、聚楽第の出来上がったろころで、そこへ移してやるつもりであった。 もともと断ちきれないきずなで結ばれた先夫をもち、その先夫が自害しているのだ。そのような傷心の女子を、正室の名で孤独の檻
へ閉じ込むべきではない・・・・そうした憐れみから、せめて肉親に近い京の地で・・・・そう思っていながら、家康は決して心底から正室をいたわっているのではないようだった。 むろん愛情でも性でもひかれるはずはなく、と言って妻ともなれば、何となく側室通いを見せつけるのも残酷に想われて、充分に朝日姫の立場を理解してやったつもりで、その実、それはみなわが身の身勝手らしかった。 いや、少なくとも几帳面な長松丸の眼にはそう映ったからの問いに違いない。 ──
と、ここまで考えて来て、再び家康はハッとなった。 「長どの、それもこなたの知恵ではないな」 「は・・・・いいえ」 「それは西郷の局の知恵であろう。生母がこなたに、義母の御殿を・・・・そう申したのであろう」 「いいえ、それは、申せませぬ」 長松丸はあわてて打ち消したが、その顔いろに浮かんだ狼狽は、はっきり家康の推測の的中を語っていた。 「よし、そのことならば案ずるな。義母が上じゃ。正室じゃからの。そして、その御殿は、いま領内からよい木を見立てて伐
り出させているところじゃ。わかったか」 「はい。よくわかりました」 「それだけであろうな。問いは・・・・それだけならば、お愛も同じことを案じているかも知れぬゆえ、お許、戻りにまわって、そうなっていることを知らせてやれ」 言いながら家康は、思わずホッとため息した。聞くべきものであった。ここに住居も建てずに朝日姫を京へ移したら、それこそそれは追い払ったことになってゆく・・・・ |