〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/10 (土) 東 を め ざ す (三)

家康は、ちょっとうんざりした。
(子供らしさがない・・・・)
と、言って、これがあやしく脱線したら、なおもって不安であろうが・・・・
「よし、名を言わぬは立派な心がけ。したがなあ長どの、こんどの九州征伐、もはや戦のおよそは終わっているのじゃ。よいかの、去年の十二月、関白は太政大臣に任ぜられ、豊臣とよとみ 秀吉ひでよし の名は古今にない大名誉の名となった。十二月早々の出陣を延期され、そのあいだ充分に毛利もうり豊前ぶぜん に、四国勢を豊後ぶんご に働かしめて、北九州を押えさせ、大友家を助けて南下の足だま まりを作られた。その間に四国勢がやぶれ、大友義統よしむね が敗退するという出来事もあったが、それとて関白太政大臣の威の前にはさしたる出来事ではなかった。
威風はしだいに滲透しんとう し情勢は刻々に豊臣家を利する。誰も関白を敵として戦うことの不利を悟らずにはおらぬからじゃ。わかるか、こんど上方の守りは前田まえだ 利家としいえ 、京の守備は羽柴はしば 秀次ひでつぐ に任せて、三月一日いよいよ九州へ発向されたが、そのときの総勢は十二万・・・・これはの、もはや戦ではのうて前代未聞の遊山ゆさん なのじゃ。そう申したらわかるであろう。父がわずか三千しか送らぬわけが」
懇々こんこん とそこまで言うと、長松丸はまた小首をかしげて一礼した。
「それならばなおさら、他家に見劣りせぬほどの人数を差し出し、せめて地の理、人情などを見せておくべきではなかったかと・・・・」
「長どの」
「はいッ」
「おこと は、まだ父の言葉を解しておらぬぞ」
「さようでござりましょうか」
「よいか、去年の夏には、このような大遊山に似た出陣など思いもよらぬ情勢だったのじゃ。それが去年の暮れからこの春にかけて、関白自身がわざわざ行くに及ばぬほどに戦局は好転した・・・・その手柄の一半は、この父の上洛にあったと気がつかぬか。それゆえ父は、わざと人数を差し控えたのじゃ。よいか、手柄はもう充分に立ててあるのじゃ」
長松丸は、さすがにびっくりしたようだった。おそらく彼にはそこまで考え及ばなかったのに違いなく、それを理解しようとする真剣すぎるほど真剣な表情がいじらしかった。
「すると、手柄はもう充分ゆえ、それで、本多広孝だけをお遣わしなされたので・・・・」
「そうじゃ。まことはの、一兵も送らぬ方が、関白にとっても得策なのじゃ。かりに、十二万の大軍が、十二万五千になり十二万八千になったとて、それは大して大局にはひびかぬものじゃ。それよりも、この大軍のうしろに、なだ無数の徳川勢が控えている・・・・そう思わせた方が、はるかに敵を圧服させるものじゃ。そのようなことでは、まだお許の考えは浅すぎる。話はそれだけかの」
長松丸は素直すなお に一礼した。
(わかったらしい。わかり方は遅くはないが・・・・)
そう思ったときに、また長松丸は口を開いた。
「もう一つおたずねしたい儀がござりまする」
「ほう、もう一つか、よし、聞こう」
「この長松丸には生母と義母・・・・の、二人の母がござりまする。この二人の母のいずれが尊いものか、それをおたずめいたしとう存じまする」
余りに思いがけないことを言われて、こんどは家康は、渋い表情でわきを向いた。

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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