家康は微笑して、長松丸の入って来るのを待った。 彦左衛門平助が、ああした気
ぶりを見せる時は、何か家康に言いたいことのある時とわかっている。 長松丸が何か申し出て来るのを叱れという意味か、その反対に、彼もまた長松丸とともに家康に何か訴えようとしている意思表示か。 「お父上、長松丸でござりまする」 「おお入れ。馬の稽古は済んだのじゃな」 「はい、済みました」 長松丸は、きちんと両手をついて一礼してから、真っすぐに家康を見上げて姿勢を正した。 秀吉の養子になった於義丸
秀康 にはどこかにまだ野育ちの、危い覇気
が感じられたが、これはまたどこまでも西郷
の局 、お愛
の方の律義さをそのまま写し取った行儀のよさであった。 時折家康はそうした一点の非のうちどころもない長松丸に、ふっと不安を覚えることがあった。 (こやつ、小心なのであろうか。剛腹なのであろうか?) 言われたことはきちんと守り、言葉使いから、態度まで整いすぎている。 と言って、武術の中でこれが群を抜いて上手とうのもなく、さりとて不得手だというものもない。文字を書かしてみてもまず上の部、馬を攻めるのを見てもまずまず上の部。太刀を握らせても的場
へ立たせても、泳がせても歩かせても、 「── ウム」 と、唸らせるほどのこともないが、かくべつ劣ったというところもない。 凡庸
と言えば凡庸、均衡の取れた優良児と言えばそうも想える。 「松どのは、この父に何か話があるそうじゃの。何の話じゃ。まずその大要を一口で言ってみよ」 「はい。一口で・・・・は、無理でござりまする」 「と言うて、忙しい時には細かく聞けぬ場合もある。大要を言うも修練の一つじゃ」 「はい」 長松丸はそう言われると、もう抗
おうとはせずに、しんけんに一口で言おうと考えている顔であった。 「一口で申せば、わが家の大事にござりまする」 「ほう、わが家の大事か、それではもう少し詳しく聞かずばなるまい。何ごとじゃ」 「大坂表の兄上於義丸どの、いよいよ関白殿下のお供をして九州ご出陣とうけたまわりました」 「それで・・・・」 「お父上の大坂にお出しなされた人数は、酒井左衛門督
を挨拶のまま立ち帰らせ、あとは本多広孝
のみ。それが足軽小者をまじえて、せいぜい三千足らずの人数にてご加勢とうけたまわりましたが、たしかにさようでござりましょうか」 「うむ。たしかにそのとおりじゃが、腑におちぬか」 「はい、それでは兄上の肩身も狭く、関白殿下への思惑もいかがかと存じまするが」 「ほう、すると、長どのは、もっと人数を差しつかわすべきだと、そう思うのじゃな」 「はい、諸侯と比べ、あまり差し出し方が少うては、後々のためにならぬかと存じまする」 「ハッキリと申したな。誰
に入れ知恵されたぞ」 家康が笑いながら聞き返すと、長松丸は、ちょっと小首を傾げてから、 「誰の入れ知恵でもござりませぬ。また入れ知恵した者があっても、その名は申し上げませぬ」 一語もいやしくない構えで答えた。 |