怒るのも無理はない・・・・と、思いながらも、家康は、作左衛門を責める気にはなれなかった。 「これまでとはだいぶ様子が違うようで」 何も知らない本多正信が、阿部正勝に話しかけたのは、秀長と長盛が膳部の用意に立ってからであった。 「そうじゃ、何となくこだわる様子じゃ」 「何かあったのではああるまいかの」 「と、なると、大坂へ、三千で行くのは考えものかもしれませぬなあ」 家康は黙って庭の泉石を見ていた。夕方になって、気温が下がって来たせいか、澄み切った水底で、ぴたりと鯉
が砂にはりつき、その背のあたりに山茶花
の花が一輪浮いている。すでに冬の近い感じであった。 (動いてはならぬ・・・・) これから、あの鯉のようにしばらくじっと。 「お館さまは、お気づきなされませぬか」 「何を?」 「宰相のそぶり・・・・おかしいとは思いませぬか」 「弥八は、おかしいと思うのか」 「腑におちませぬ。言うことはいちいち好意・・・・であるはずの言葉なのに、ひどく冷たく、よそよそしい」 「まあよい、考えすぎるな」 「何か、企
んでいるのでは・・・・?」 「たわけたことを。企むのならば、われらが京へ入る前に企むわ。京へ入れて騒いでは、内野も大仏殿もフイになろうが」 「なるほど、しかし、心は許せませぬなあ」 と、そのときだった。 廊下にあわただしい足音を耳にして、みんながハッと口を閉じたとき、 大声で呼ばわって、そのまま座敷へ駆け込んで来たものがある。 「あっ・・・・」 と、みんなは意気を呑んで、思わず小さい刀に手をかけた。 「なんと言うことじゃ。手焙
りも出ておらぬ。さてさて気のつかぬことよ。これこれ長盛長盛」 「は・・・・はいッ」 続いて駆け込んで来て、平伏したのはさっき一行をここへ案内して来た奉行
とはっきり分ったが、立ちはだかって大声で喚
きたてる人物が秀吉だと分るまでには数分かかった。 「何という気のつかなさじゃ。京の気候はの、浜松などよりずっと冷えるのを知らぬのか」 「はッ」 「すぐに火を、灯りを、それから膳も急いで」 「かしこまりました」 「大政所が、向うでこのような扱いを受けたら何とするぞ。心尽くしが足りぬ。親切が足りぬぞ。それから宰相を呼べ」 「はッ」 増田長盛が急いで駆け去るのと、入れ違いに秀長がやって来た。 宰相宰相!
わしはな、鹿爪らしく待っておれなんだ。よいか。これは微行
じゃ。殿下のおしのびじゃ。そうじゃ。われらはな、兄弟水入らずで酒を汲む。大坂で正式対面はまた別じゃ。家来衆は別室へ案内して、ここへは膳を二つ頼むぞ」 それはまるで突風の吹きつけるようなあわただしさで、それから初めて家康を振り返ってニッと笑った。 「徳川どの、許されよ。みな喜んであがっているのじゃ」
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