〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/08 (木) 両 雄 対 面 (五)

怒るのも無理はない・・・・と、思いながらも、家康は、作左衛門を責める気にはなれなかった。
「これまでとはだいぶ様子が違うようで」
何も知らない本多正信が、阿部正勝に話しかけたのは、秀長と長盛が膳部の用意に立ってからであった。
「そうじゃ、何となくこだわる様子じゃ」
「何かあったのではああるまいかの」
「と、なると、大坂へ、三千で行くのは考えものかもしれませぬなあ」
家康は黙って庭の泉石を見ていた。夕方になって、気温が下がって来たせいか、澄み切った水底で、ぴたりとこい が砂にはりつき、その背のあたりに山茶花さざんか の花が一輪浮いている。すでに冬の近い感じであった。
(動いてはならぬ・・・・)
これから、あの鯉のようにしばらくじっと。
「お館さまは、お気づきなされませぬか」
「何を?」
「宰相のそぶり・・・・おかしいとは思いませぬか」
「弥八は、おかしいと思うのか」
「腑におちませぬ。言うことはいちいち好意・・・・であるはずの言葉なのに、ひどく冷たく、よそよそしい」
「まあよい、考えすぎるな」
「何か、たくら んでいるのでは・・・・?」
「たわけたことを。企むのならば、われらが京へ入る前に企むわ。京へ入れて騒いでは、内野も大仏殿もフイになろうが」
「なるほど、しかし、心は許せませぬなあ」
と、そのときだった。
廊下にあわただしい足音を耳にして、みんながハッと口を閉じたとき、
大声で呼ばわって、そのまま座敷へ駆け込んで来たものがある。
「あっ・・・・」
と、みんなは意気を呑んで、思わず小さい刀に手をかけた。
「なんと言うことじゃ。手焙てあぶり りも出ておらぬ。さてさて気のつかぬことよ。これこれ長盛長盛」
「は・・・・はいッ」
続いて駆け込んで来て、平伏したのはさっき一行をここへ案内して来た奉行ぶぎょう とはっきり分ったが、立ちはだかって大声でわめ きたてる人物が秀吉だと分るまでには数分かかった。
「何という気のつかなさじゃ。京の気候はの、浜松などよりずっと冷えるのを知らぬのか」
「はッ」
「すぐに火を、灯りを、それから膳も急いで」
「かしこまりました」
「大政所が、向うでこのような扱いを受けたら何とするぞ。心尽くしが足りぬ。親切が足りぬぞ。それから宰相を呼べ」
「はッ」
増田長盛が急いで駆け去るのと、入れ違いに秀長がやって来た。
宰相宰相! わしはな、鹿爪らしく待っておれなんだ。よいか。これは微行しのび じゃ。殿下のおしのびじゃ。そうじゃ。われらはな、兄弟水入らずで酒を汲む。大坂で正式対面はまた別じゃ。家来衆は別室へ案内して、ここへは膳を二つ頼むぞ」
それはまるで突風の吹きつけるようなあわただしさで、それから初めて家康を振り返ってニッと笑った。
「徳川どの、許されよ。みな喜んであがっているのじゃ」

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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