〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/08 (木) 両 雄 対 面 (四)

(作左め、とうとうやりおったわ・・・・)
家康は、茶屋の邸を出て内野の普請場に近い羽柴はしば 秀長ひでなが の館に入るまで、何度かふっと笑い出しそうになった。
秀吉のお伽衆は、こんなことから両者の感情がもつれてはと、堺衆らいい打算から内々で知らせてくれたのであろうか。しかしその行為を裏返せば、それゆえ家康に心して頭を下げよということになる。
(これは、ことによると秀吉に内命されて知らせて来たのかも知ぬぞ)
秀吉が怒っているのだったら、弟の秀長もまた当然感情を害していよう。大政所は秀長にとっても大切な母なのだ・・・・
秀長の邸に着くと、秀長自身が奉行の増田ますだ 長盛ながもり と並んで家康を出迎えた。
そう言えば、秀長の顔に微笑はなく、あるいはここで自分の接待に出て来るのではあるまいかと思っていた、織田信雄のぶかつ有楽うらく の姿も見えなかった。
(有楽が来ていたら、どんな様子か訊ねも出来るのだが・・・・)
秀長の邸もまだ庭木や石に土のなじまぬ新しさで、所々に霜がそのまま残っている。
酒井忠次以下の老臣たちは、それぞれの手勢と共に分宿し、家康に従う者は、本多正信、阿部正勝、牧野まきの 康成やすなり鳥居とりい 新太郎の四人だけ。長い廊下をわたって御殿作りの一室にみちびかれると、秀長よりも先に若い増田長盛が切り口上で挨拶した。
「ようこそわたらせられました。関白殿下には、二十七日大坂おもて にておん目にかかられまする。今明日はごゆるりとご休息のほどを」
「かたじけのう存ずる」
相手が冷たく取り澄ましているので家康も無愛想に応じて、そこに積まれた諸方からの贈り物に眼をやった。
秀長が重い口調で、その披露を終わるころには、
(やっぱり怒っているらしい・・・・)
家康にもハッキリとそれが感じ取れた。
おそらく秀長も長盛も作左の一件を知っているのに違いない。が、向うから切り出さない限り、こちらから口に出すべきことではなかった。
「明日は、神人しんじん 並びに猿楽を召し寄せ、旅のつれづれをお慰めいたす所存・・・・」
宰相秀長は、秀吉とはおよそ正反対の律義な人柄らしく、それだけ胸にこだわるもののあるのが露骨に言葉にあらわれた。
「したが、大坂表へは、いかほどの人数でお越しなさるお考えなりや?」
「さて、ハッキリとは決めておらなんだが」
「船でおわすならば用意もあることゆえ、ご内意うかごうておきたいと存ずる」
「船で・・・・」
陸路くがじ がよいと仰せられるか」
「船ではお手数であろうなあ・・・・」
家康がそこまで言うと、本多正信が入側いりがわ からひと膝すすめて、
「船では乗りきれませぬ!」
家康はチラとその方を目でたしなめた。
「人数は三千ほど、馬もあれば陸路を参るといたしましょうかな」
「心得ました。ではそのつもりで」
秀長の対応があまりに ないので、家康もちょっと持てあました。
(この空気ではよほど秀吉は怒っているのに違いない・・・・)

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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