〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/07 (水) 両 雄 対 面 (二)

茶屋四郎次郎は、わざと家康の言葉は耳に入らぬもののように言いつづけた。
「京の市民が喜んでお館さまをお迎えする・・・・まことにこれは、感慨深いことにござりまする」
清延きよのぶ 、この普請ふしん は、いくいらかかった?」
「は?いや、なに、黄金十枚ほどにて」
「ふーん。甲信の地の、城主の御殿の普請よりはるかにぜい を尽くしておるわ」
「恐れ入りました。お館さま、お立ち寄り下さるとうけたまわりましたので」
「清延」
「はい」
「天下のことは、定まったのう」
「そうごろう ぜられまするか」
「わしがこれだけの人数を連れて入って来ても、市民の怖れぬ世になった・・・・」
「仰せのとおり・・・・と、存じまする」
「そして、わしの入洛を祝う盃台が、続々と宿舎に届けられる。関白はやはり並みのごじん ではないわ」
家康はそう言うと、フーッと嘆息して、それからわずかに笑ってみせた。
「これが、望みであった。右府うふ 以来の、われらののう」
「そのお言葉・・・・神仏が、どのようなお心で聞かれまするか」
「聚楽のご普請は、どうじゃ、いつごろ出来上がりそうじゃ」
「されば、これはまだ、来年の夏を越えまするかと・・・・」
「来年の夏か・・・・わしも考えねばならぬ」
「と、仰せられますと?」
御台みだい が哀れじゃ。聚楽の新邸ができあがったら母御・・・・いや、大政所と、一緒に住まわせてやらねばなるまい」
茶屋四郎次郎は、ちらりと上眼になって家康を見やったが、すぐに視線を膝に落として答えなかった。
家康の心境があまりにハッキリと胸にとおって、こたえる言葉がなかったのだ・・・・
(これがわれらの望みであった・・・・)
そう言った天下の平定は、そのまま、家康が自分をいまし める声でもあった。
天下は平定したが、それは家康の手でよってではなかった。これから家康には、秀吉という宿敵に対する忍従の日が、悲願の達成と並行してはじまろうとしているのだ・・・・
そして、朝日姫を母と一緒に住まわせよう・・・・そう洩らした述懐の中には、その忍従に耐え抜こうとする・・・・いや、耐えねばならぬという、覚悟といまし めとがかくされている。
「いよいよそなたたちの前途へも明るみがもたらされたわけじゃ。堺の町人衆は喜んでいるであろう」
「はい、あちらでもこちらでも、船作りで大変でござりまする」
「そちも負けるな。よいか、そち自身もな、関白家と徳川家とは、義兄弟じゃということを心に刻め。そして、まず今までの、心の障碍をきれいさっぱりと除いた上で、関白に近づくのじゃ」
「は・・・・はい」
「では、すぐに着換えて宿舎へ参ろうか」
「その前に、つたない点前てまえ をお目にかけとう存じまするが・・・・」
「あ、茶か、よし馳走なって行こう。茶室も建てたか」
家康はようやく気軽さをよみがえらせて席を立った。

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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