「ご老人!
やりましたなあ!」 直政は若々しい昂ぶりを見せて、坐る前に口を開いた。 「まさか殿が、このようなことまで命じてご出発なされていようとは知らなんだ、これでなるほど盤石
じゃ」 作左衛門は口をへの字にしたまま答えなかった。 「いや、みなは寒さを防ぐためと答えましたが、あのお付きの老女がサッと顔色を変えました出でなあ。あの分ではすぐに文
を認 めて差し出す気配じゃ。ご老人、その文は途中で奪うた方がよいのであろうな」 「それには及ばぬ」 「黙って届けさせてよいのでござるか」 「兵部どの」 「なんでござる。それがしはもう少し経ってから文の届く方がよいと思うが」 「お身は、殿が命じてお出かけなされたように言わっしゃったの」 「そうでは、ないのでござるか」 「いかにも」 「では・・・・ご老人の一存か」 「そのとおり」 「それはいかん!
それならば、あのような無茶なことは・・・・」 「兵部どの、殿ならばよい事が、作左ならばなぜいかんのじゃな」 「これは、ご老人の言葉とも覚えぬ。殿がご承知ならば、関白から何と苦情を言い出されても心の用意があろう。が突然では申し開きはあるまい・・・・大政所さまを焼き殺す・・・・殿の不利が見えるようじゃ」 「黙らっしゃい」 「なにッ、黙れとは、口が過ぎようぞ」 「過ぎぬ、黙らっしゃい」 作左は同じ事を繰り返してから、 「この城の守備を考えるはわしの役目じゃ」 「大政所のご接待はこの直政の役目じゃ」 「それゆえ、すぐに焼きあげるとは言わぬ。秀吉が殿に怪しい振る舞いをしたら焼くと言うのじゃ。おわかりか・・・・旅の途中で怪しい振る舞いを仕掛けるようならば、すぐに攻め寄せる怖れもあれば、城内から内応者の出る怖れもある。それゆえこれは三河武士の用心じゃ。と、大政所に申し上げさっしゃい。三河武士には、いつでも一分の隙もない。しかし向うに他意がなければただの寒さよけ・・・・ちっとも案ずることはないであろうが」 「作左どの」 「なんじゃ、不服らしい顔をなされて」 「お身は、いささか狂ってござるぞ」 「ほう、兵部どのには、そう見えるかのう」 「用心ならば殿があれだけの軍勢を連れて行かれた。それで充分のはずじゃ、殿の命令ならば格別。威風を見せて、おだやかに話し合おうと考えておわすとき、このような常識はずれの暴挙で難詰
の種を与えては、殿のご迷惑と思わぬのか」 「思わぬのう」 「思いがけぬことで、狼狽なされたら、それが談合の邪魔になるとは考えぬのか」 「青い!」 「なにが青い」 「井伊兵部少輔直政、くちばしが青い」 「フン、いよいよ老人の頭は狂うておるわ」 「いや青い!」 と、作左衛門は視線をそらして庭先から灰色の空を見やった。 「ご覧なされ、いよいよ風が荒れているわ」 そう言えば、黄ばんだ枯れ葉が軒から小さくうずを捲いて落ちている。 |