「老人の頑固にも呆れたものじゃ。よし、では、おやりなされ。わしはすぐさま、この事を殿へお知らせ申しておこう」 直政がせきこんで立とうとすると、 「それはご隋意
に」 作左衛門は皮肉に応じた。 「先に知らせておいたら、あの殿じゃ。はじめから小さくなって秀吉の前へ出るだろう」 「な・・・なにッ」 「小さくさせて出したかったら知らせなされ」 「では・・・・知らずに出して、狼狽させてもよいと言うのかッ」 「フフ・・・・知らずに出て狼狽するような殿ならばなあ、どうせ秀吉と太刀打ちは出来ぬわい」 直政は舌打ちして坐り直した。 「気になることを言う年寄りじゃ。どうしても我意
を通そうと言わっしゃるのか」 「兵部どの、我意と、お身は申されたのう」 「それじゃ。類のない我意の強さじゃ」 「フフフ、我意の強さはお身じゃ。お身は、殿に、なぜ早く知らさなかったかと叱られるのが嫌なのじゃ。殿の気性を考えて、足らぬところを補
のうてやるのがわれらのつとめ・・・・人間よい子になる事ばかり考えているうちは青い青い」 「なにッ!?」 直政は気色
ばんで膝を立てたが、しかし、次の言葉は出なかった。元来考え深い直政、ようやく作左の放言の中から、何か尋常
でないものを感じ取った様子であった。 「・・・・ご老人、するとご老人は、このことから来るいっさいの責任はお一人で取られる気じゃな」 「さあのう・・・・」 「フーム。それで憎まれ役は一人でよいと前からたびたび言われたのか」 「万一、この作左が柴に火を放ったら、兵部どのが背負い出す・・・・そう聞かせておいたら大政所も心配なさるまい。それが役々の心得じゃ」 「しかし関白が怒られて、万一切腹・・・・」 言いかけてちょっと逡巡
して、 「・・・・時には、なんとなさるのじゃ」 「殿のご了見にあることじゃ」 「殿が、それを容れずにおれなくなったら!?」 「兵部どの」 「ん・・・・」 「年寄りというはな、ひところひどく淋しがりやになるものじゃ。戦場でのうても死はあった・・・・と、近づく死に気づいたときにはなあ」 「それとこれと、関わりあると言わっしゃるのか」 「いや、話は違うのじゃ。つまりその淋しい心境からもがきながらぬけ出すと、こんどは誰かを喜ばせて死にとうなる。遁れられない死ゆえのう。その意味ではこの年寄りは仕合わせ者じゃ。喜ばせたい人がある。殿じゃそれは・・・・そしてそこまで来ると、切腹も病気もない。暗
討 ち手討もない・・・・喜ばせたいという欲念だけが、人間はみな死なねばならぬものだという諦
めと一緒に残ってゆく。まだお身にはわからぬ。同情ならばいらぬことしゃ」 「フーム」 直政はそれで黙った。 黙ったことがひどく作左衛門を満足させた。御殿の周囲に柴を積まれて、大政所はびっくりしよう。が、その償
いに、やがて、家康は秀吉から難詰され、作左衛門は家康から叱られよう。しかし、それが家中の者の眼を開かせることとなると、逆に今度は家康のためであり、秀吉のためであり、大政所の老後の支えにもなるであろう。 (直政め、少しわかったかな・・・・) 作左は相変わらずムッツリと肚の底で計算した。 |