「ご老人、それがしがやって来たのは、火桶
のことじゃが・・・・」 直政は作左衛門の孤独感に気がつかず、 「大政所の侍女どもが、意外に寒さがきびしいゆえ、みなに火桶を出して欲しいとの掛け合い、一応ご城代のこなたに相談したうえでと思うてやって来たのじゃ」 「火桶をのう・・・・」 作左衛門は何気なくつぶやいて、 「あ、火桶か」
と、言い直した。 「ならぬと仰せられよ。女どもすべてに出して、もし火でも失してはならぬゆえ、この作左がならぬと申したと」 「なるほど、ではそう申そう」 「が、待たれよ兵部どの。侍女どもはまだ若いゆえに出せぬが、大政所はあのとおりの年寄りじゃ。これには、作左はならぬと言うたが、兵部どのが一存にて差し上げる・・・・そう申して下され」 直政はポンと膝をたたいてうなずいた。 「さすがはご老人!
なるほど、それがよい」 「部屋のうちが温まるようにの、一つではなく、二つでもなく、三つほど心遣いをしておやりなされ。それから・・・・何事にもよらず、相手に不満があったら、それは作左のせい
になされや」 「ハハ・・・・火桶の三つは承知したが、わるいことは老人のせい・・・・そのような卑怯
な嘘はおれには言えぬ」 「それが用心じゃ!」 作左衛門は忌々
しげに舌打ちして、 「憎まれ役は一人でたくさんじゃよ申したはず。万一大坂へ帰られてから、岡崎では誰も彼も不親切だったと言われるよりは、みんなは親切だったが、作左めが・・・・となればそれが殿のお為になろう。わしは、お身に、卑怯な追従をせよなどと申しているのではない。お家の為に計られよと言っているのじゃ」 「そうか、それならば相分った」 「分ったら、すぐに火桶をおあげなされ」 きびしい声で言って作左はまた黙り込んだ。 自分の孤独の理解できない相手の若さに腹を立て、つい語気を暴
くしてしまっているのを省
みてがっかりしたのだ。 「では、言わっしゃるとおりに」 直政はきちんと一礼して出て行った。 作左が不意に声を立てて笑い出したのはそれから四半刻ほど、顔をしかめて、達磨
のようにじっと襖 を睨みつけたあとであった。 「ハッハッハッ・・・・わからぬと言うて、腹を立ててはならぬ事じゃ」 大きくひとりごちながらうなずいて、それから性急に、台所奉行の大沢
元右衛門 を呼びにやった。 そして元右衛門がやって来ると、いつものしかり付けるような口調で、 「飯を焚
く柴 があろう」 と、吼えるように言った。 「あれをな、二、三百把
ほど、大政所の入ってござらっしゃる新御殿のまわりに積み上げよ」 元右衛門はびっくりして、 「あの柴を、何のためにでござりまする?」 「あの老婆が寒いと言うたそうな、柴を積み上げたら風を防げよう・・・・」 「さ、さようで」 「と言うのは表向き・・・・実は上洛した殿に、秀吉めが、ちょっとでも怪しい気ぶりを見せたら、その柴に火を点けて、新御殿ごとそっくり女どもを焼き殺してしまうのじゃ。わかったか」 元右衛門は、しばらくポカンとしてまたたきを忘れていた。 |