家康は予定どおり、二十日の早朝総勢をひきいて上洛の途についた。 本多作左衛門は、それを大手門の外まで見送って本丸に戻って来ると、ほどく気だるい疲れが身内にこもっているのを感じた。 家康自身、さしたる不安も感ぜず、明るい表情で出発していったのだし、家中の者の案ずるような陰謀など秀吉が企てるはずはない・・・・と、その先まで計算していながら、何か仕落としている仕事があるような気がして落ち着かなかった。 その日はどんよりと低い空で、雨は落ちなかったが野分
きはかなりはげしかった。 ひょうひょうと老松が鳴りつづけ、風がやむと雪にでもなりそうな底冷えのしかたであった。 (今年は冬が早いらしい・・・・) 居間へ戻って、何とない不安と向かいあっているところへ井伊直政がやって来た。 「作左どの、お疲れであろう」 「兵部どのか、お二方のご機嫌は?」 「いやはや、話というものはあるものでござるのう。あれからずっと寝もやらずに、まだ何か話しておざるわ」 若い直政は、充分に作左衛門に敬意を見せた態度で膝をそろえると、 「ときに、京か大坂で、本多忠勝と石川数正が出会わねばよいと存ずるが」 「忠勝が、何か、申していたかの」 「出会うたらぶった斬ると、いや、一本気でござるゆえ」 「兵部どの」
作左は、はじめて自分の不安の原因を探りあてたような気がして、 「お身は、数正をどう思われる? あれにはあれとしての苦しさもあったと思うが」 「石川の苦しさ・・・・?」 「仮にじゃ、数正が、秀吉に寝返ったと見せかけて、そのじつ、お家のために向こう側から尽くそうとする所存であったら何とするのう」 「これは、老人のお言葉とも覚えませぬ。そのような仮定はせぬものじゃ」 「そうか・・・・」 「仮りに、そうであったとしても、それは奇道、奇道を許せば常道が紊
れようでなあ」 「ふーむ」 「しかし、何か、そのような節でもござるのかな?」 「いやなに。お身の言葉で、ふとあ奴の顔を想い出したまでのこと」 「風がひどく強くなって来たのご老人」 「ウーム」 「火の元をよほどきびしく用心させねばならぬ。お館の留守に、火を失したなどとあっては一大事じゃ」 作左衛門はしかし答えなかった。 (やはり、数正は、誰にも理解されないらしい・・・・) そう思うと、自分までがひどく哀れな気がしてくる。 「大政所も、人質とは気づかぬようじゃな」 「はじめはそう思うたそうで。しかし、人を疑うてはきりがないと考え直したら、ぐっと心がひろうなった。そなたもくよくよするななどと、御台所をはげましておられた。もっとも、これは言葉どおり受け取ってよいのかどうか分らぬが・・・・」 「ふーむ、お身もそう思わっしゃるか」 作左衛門は肩を落として嘆息した。 井伊直政までがこれなのだ。大政所の心境にも遠く及ばないのでは、数正や自分の考え方など理解されようはずはない。 「そうか、言葉どおりには受け取れぬか・・・・」 |