大政所の接待役にあげられている井伊
兵部輔 直政
が、すかさず進み出て案内に立った。 酒井
忠次 、大久保
忠世 、榊原
康政 、本多
忠勝 、永井
直勝 らがいっせいに首をあげて顔を見合わせたのは、十八人の侍女を従えた大政所の行列が、まだ式台に上がりきらぬうちであった。 どの顔も笑いをこらえた意外さをたたえていた。大政所は、彼らが疑ってやまなかった
「偽せ者 ──」 であるにしては、余り土の香の勝ちすぎた何の気取りもない老婆であった。ひと眼で過去の勤労は並みなみならぬものとわかり、これが時めく 「関白
──」 の母堂かと思わず失笑しそうな人の好い気軽さにみちていた。 (これはニセ者ではない・・・・) 誰の眼にも、いちどにそれを感じ取って、無遠慮に驚いていた。 本多作左衛門は、こうした情景をはっきり見定めていながら、行列が奥へ消えると立ちかける人々をおさえた。 「方々、油断なりませぬぞ」 「ほう・・・・」
と、誰かがたまりかねたように笑った。 「何を笑われる。笑うときではござるまい」 「と、いわれるが作左どの、あれはニセ者にしてはできすぎているようで」 それゆえいっそう油断ならぬ。本日夕刻、浜松より御台
さまご到着なされて、ご対面なさるおりに、心して真偽を見きわめられるよう」 きびしく言って立ちながら、作左衛門は自分で自分が嫌になった。大政所の節くれ立った、大きな指を見た瞬間、 (この母まで送らねばならなかったのか・・・・) ふと涙ぐみそうになっていながら、心にもない事を言わねばならぬ自分が、たまらなく卑
しいものに思えた。 政略の具に使われていることなど知ってか知らずにか、目的地についてホッとしている大政所の歓びに、みじんの嘘も感じられない。その、素朴な老婆を、自分はいったいどう待遇しようとしているのか。 大政所は、いったん、本丸の奥に新築された別殿へ入って憩
われ、着換えをすまして、大広間で家康と対面するはずであった。 そのおりに家康は、重
だった家臣たちを紹介し、そこで夜食を共にする。その間に浜松から朝日姫も到着する手はずであった。 普通だったら当然、家康も出迎えなければならないのだが、それを押えたのも作左衛門にほかならない。 「──
戦に勝った方が、負けた方からよこす人質を出迎えるなどもってのほか・・・・」 みなに聞かせるつもりでそう言うと、重臣たちもわが意を得たりという顔つきだった。 「──
いかにも。もしそれが偽せ者だったりした場合は、末代までのもの笑いじゃ」 そうしたときに家康は、一言も賛否を言わず、すべて家臣まかせであった。 むろんそれが作左衛門の苦肉の策と、家康にはよく通じている。家臣の心がほぐれていたら、おそらく彼は、池鯉鮒まで出迎えていたかも知れない。 作左衛門は、大政所が別殿に落ち着いたのを確かめて、それから家康の居間へ向かった。 「大坂のご老婆さま、無事到着にござりまする」 「ご苦労、どうじゃほん物らしいか」 家康は笑いながら、そばの本多
正信 を見返って、 「弥八朗はの、秀吉が、真物
などよこすはずはないと言い張るのじゃが」 そう言えば、本多正信は、家康の側にいていまだ大政所を見てはいなかったのだ・・・・ |