入念に心覚えを調べていって、ふと家康はうしろに人の気配を感じてふり返った。 すでに次の間へ退ったものとばかろ思っていた鳥居新太郎が、まだそこへ真四角に坐ってじと何か考え込んでいたのである。 「新太郎、もう休んでよいと申したのが聞こえなかったのか・・・・」 「は・・・・」 新太郎はビクリとして前髪の顔を立てると、思いつめた表情で上半身を揺
すった。 「お先に休むなど思いもよりませぬ」 「ほう、すると、わしが朝まで起きておれば、こなたも寝ぬつもりか」 「お館さま! いよいよお館さまは、ご上洛なさるのでござりまするなあ」 「そうじゃ、そちも聞いていたではないか」 「お願いがござりまする!」 「ハハ・・・・固くなって、何事じゃ」 「この新太郎にも、是非ともお供をお許し下さりますよう」 「ふーむ、なぜじゃな」 「もしご上洛と決まったら、お館さまの太刀持ちとして、おそばを離れてはならぬ。そのことを必ずお願い申してお許しを得ておくようにと・・・・」 「誰が申した?
父の元忠 か」 「はい・・・・それに、この新太郎も、そう思いまする」 家康は笑顔を納めて、ゆっくりと新太郎に向き直った。 体はすでに大人
であったが、ただ一基の燭台に照らし出された思いつめた表情の若さは、音を立てて折れそうな蒼白な緊張ぶりであった。 「こなたは、上洛すればわしの身に危害を加える者がある・・・・と、思うておるのか」 「いいえそうは思いませぬ」 「ならば、何もこなたが、それほど硬くなって案ずるがほどのものはあるまい」 「いいえ、それだけではならぬと思いまする」 「なに、それだけではならぬ・・・・?」 「はいッ、お館さまは、さっき、ご城代に、そちはまだわしの思案の半ばしか分っておらぬぞとおっしゃりました」 「ほう、それを聞いていたのか」 「私はその意味を考えました。そして父の言葉を思い出しました」 「なるほど」 「たとえばご身辺に、何の危さもないといたしましても、私は、やはりお側
へきびしく坐っていねばなりませぬ。相手に、さすがは徳川家の者ども、一分の隙もない心構え・・・・と、それを見せておくだけで、必ず後々のお為になる・・・・父の申したことは、この油断
のない心を養えよとの意味であったと察しました」 家康はちょっと上眼
になり、それからしばらく黙って相手を見据えていった。 作左衛門に念を押した一言が、まだ前髪立ちの新太郎にまで誤りなく受け取られている。 「なるほど、それが新太郎の計算か」 「お願いでござりまする。たとえ、四刻、五刻坐りつづけようとも、仰せとあれば身じろぎもいたしませぬ。祖父の忠吉
、父の元忠に劣らぬご奉公がいたしとうござりまする。強
ってお供にお加え下さるよう、このとおりでござりまする」 そう言うと、新太郎は、おかしいほど真剣
に畳におちた自分の影へ額
をつけてゆくのだった・・・・ |