〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/01 (木) 三 河 の 計 算 (九)

いかに秀吉でも、二万以上の大軍を引き連れての上洛ではうかつに手出しの出来るはずはない。
いや、はじめからそれを言ったら、家中の動揺などありようがなかったのだが、せいぜい二、三百の人数で出て行くものと思っているのでみな、眼にかど 立てて反対していたのだ。
「ハッハッハ・・・・」 と、作左衛門は大口あいて笑った。
「なるほど、これが、前代未聞へのお返しか」
忠次もからからと笑った。
「二万以上ならば、いつでも、一合戦ひとがっせん できるわなあ作左」
「ハッハッハ・・・・これには大風呂敷おおぶろしき の関白殿下もびっくり仰天ぎょうてん でござろうて。向うは関白殿下のご母堂大政所を質にする。そのお礼の上洛ゆえ、こっちは二万以上で威儀を正す・・・・これはなるほど、前代未聞の兄弟仲じゃ」
家康はみんなの笑い止むのを待って、
得心とくしん したようじゃの。では、ついでのことに申しておくが、留守中の岡崎の守りは作左、そちと井伊いい 直政なおまさ に申しつける。なお、控えとして西尾の城へは大久保おおくぼ 忠世ただよ を入れてゆく。それだけ備えてあらば異存はあるまい」
「何の異存など・・・・なあ酒井どの」
「おう、それだけ思い切った備えならば、苦情の言いようもあるまいて」
「では、大広間へ使者を」
家康に命じられて席を立ちながら、本多作左衛門はまたしても腹の底から笑いがこみあげてくるのであった。
いちいち他人の意表をつこうとする秀吉。
その秀吉に対してあまりに地味で歯痒はがゆ いほどの家康だった。これがこんどは入費を惜しまずケタjはずれの備えで上洛しようという・・・・
その一言で家中の不安はからりと晴れたが、おそらく秀吉も、これを知ったら狼狽あわ てて備えを立て直さねばならなくなるのではあるまいか。
いかに大きなことの好きな秀吉でも、二万で京へ繰り込まれては戦慄せんりつ せずには納まるまい。そのうえ岡崎へは生母、浜松へは妹を取られているあとだとしたら・・・・
考えようによっては、これは一つの抜き差しならぬ恫喝どうかつ とも言える。小胆しょうたん な相手ならば、これだけで気死するかも知れなかった。
(なるほど、これは相当な腹袋じゃわい)
こう腹が決まってみると、六人の使者への嫌がらせや皮肉などは、あまりにみみっちい小ささで、話にも何もならなかった。
対談は昨夜の三の丸でのそれとは、まるで違ったおおどかな明るさで続けられた。
家康が、始から上洛を既定きてい の事実として、秀吉からの書面に眼を通すとすぐに、日取りのことを切り出したからであった。
「大政所さま、大坂のご出発は十月十日から十三日までの間、さすれば岡崎ご到着はおよそ十八、九日ごろかと心得まするが」
浅野長政がそう言うと、家康はかんたんにうなずいて、
「ではわれらの上洛は、二十日と決めましょうかの。大政所さまご機嫌をうかごうて、すぐさま出発。京へ着くのが二十四、五日・・・・二十六、七日には大坂おもて で関白殿下にお目にかかれよう」
聞いているうちに、本多作左衛門はしだいに胸が熱くなった。
家康の姿が、このときほど鬱然うつぜん とした巨樹に見えたことはなかった。

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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