〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/12/01 (木) 三 河 の 計 算 (十)

秀吉は不世出の英傑 ── と、作左衛門もみとめている。百姓から関白まで一気に駆けとおした人物は史上にない。
が、その秀吉に対して全く見劣みおと りしない家康が、自分の叱り、小突いて来たわが主君なのだと思うと感慨かんがい は無量であった。
(大きく育ってゆくものじゃ ──)
協議はてきぱきと片づいて、大政所ご下向の場合は、一族の松平まつだいら 主殿助とのものすけ 家忠いえただ池鯉鮒ちりゅう まで出迎えて岡崎城へ案内すること。
岡崎城では井伊兵部少輔ひょうぶのしよう 直政が大政所の守護にあたること。
その間に、浜松から、御台所の朝日姫は岡崎にやって来て母子の対面を遂げ、大政所の滞在中はおそば で暮らすこと。
家康は上洛すると、徳川家の呉服ご用達ようたし 、通り出水でみず さが ル町にある茶屋四郎次郎清延きよのぶ の館において行装こうそう を整え、そのまま秀吉の弟の羽柴はしば 秀長ひでなが の京の邸に入って、その後の行動の打ち合わせをなすこと。
今の予定では正親町おおぎまち 天皇の皇太子 (後陽成ごようぜい 天皇) へのご譲位が十一月七日のはずゆえ、そのおりに階位の奏請そうせい 、ご機嫌奉伺のことを済ませて家康は岡崎へ帰り、帰り着くと同時に大政所を大坂へ送り出すことなどが半刻あまりの間に決められ、それからすぐに酒宴になった。
その夜は燭台もふやされ、膳も三の膳つきであった。
むろん秀吉の派手さには及ぶべくもなかったが、岡崎としては稀有けう のことで、酌人には腰元たちが呼び出された。作左衛門のもとには女の召し使はいなかったので、わざわざ西尾から呼び寄せたのであった。
宴が果てたのは亥の刻 (午後十時) 近く、家康が寝所へ引き取ると、作左衛門はもう一度そこまで送って話しかけずにはいられなかった。
「殿・・・・二万の軍勢のことは、お話しなされませなんだなあ」
「おう、数まで話さぬが、関白の縁類として、恥ずかしからぬ供ぞろえとは言うておいたぞ」
「まさか、それで、相手が胆をつぶして、思わぬ騒動がもち上がるような事はござりますまいなあ」
「案ずるな、関白の気性は見抜いているわ」
「もう一つ・・・・関白が、その軍勢をご覧なされて、そのため、九州出陣の軍役ぐんえき がふえるというおそれは・・・・」
家康は、声を落として低く笑った。
「作左」
「はい」
「そちも胆は小さいの」
「で、ござりましょうか」
「わしは、その軍役を減らすために大勢を連れてゆくのじゃ。これだけあっても東の守りにはまだ足りぬ。が、関白は心配なく西をご征伐下され。とにかく東はご覧のとおりの兵力で引き受けますると・・・・」
作左衛門は射抜くように家康を見返して、それから丁寧ていねい に一礼した。
「お休みなされませ」
もう何も言う必要はないというカラリと快い気持であった。
充分に秀吉の気性を知っての計算で、手落ちはないと信じられた。が、それにもかかわらず家康は、出かかった作左を呼び止めて、
「改めて言うまでもない事ながら、留守中の覚悟はできていような」
思いがけないきびしさで念を押した。
「よし、よく考えて作を立てよ。そちはまだわしの思案の半分しか分っておらぬぞ」

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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