〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/11/29 (火) 三 河 の 計 算 (四)

本多作左衛門は、黙って燭台のゆらぎを見つめている。彼は酒井忠次ほどに単純ではあり得なかった。
このような接待ぶりでは、こちらの感情は相手へ筒抜けに見透かされ、やくたいもない田舎いなか ざむらい と笑われるだけとわかっていた。
しかもなお、忠次を制そうとはせず、自分もまたわざと皮肉を言い添える・・・・が、その実、彼の思案は忠次と全く違ったところにあった。
「作左」
忠次は作左衛門も自分と同じ意見なのだと信じ込んで、
「あれでも怒らぬ。いよいよ怪しいであろうが」
「そうじゃなあ」
「わしは今だから打ち明けるが、はじめから考えあって両家の縁組に賛成をよそおうたのじゃ」
「よそおうた・・・・と言わっしゃるのか」
「知れたことじゃ。おなじ戦をするにも、秀吉が妹一人、人質に取ったうえでの戦の方が有利になる」
そっとあたりを見廻しながら声を落としてそう言うと、作左衛門は視線もそらさずに、
「それなら、二人質に取った方がよそしゅうござろう」
と、つぶやくように答えた。
「二人・・・・」
「いかにも、こんどの使者は、秀吉の母御ははご を岡崎へ寄こすゆえ、殿を上京させよというのに決まっている」
「作左!」
「・・・・」
「おぬしは人が好すぎるぞ。それでは、わしの言う意味がわかっておらぬわ」
「さようでござろうかの」
「そうじゃとも。わしがいよいよ怪しいと申したのは、その秀吉が母御という女性にょしょう のことじゃ。よく考えてみるがよい。都には御所づとめをした年かっこうの似た老婆などは掃くほどおろうぞ。この三河で誰がいったい秀吉の母御、大政所おおまんどころ の顔を見知っておるのじゃ。誰も知るまいが」
「それは知らぬ。ただ一人を除いてはの」
「その一人は御台所みだいどころ ・・・・が、御台所ははじめからそれを言い含められて嫁いで来ていたら何とする。つまり誰も知らぬのだから真偽を嗅ぎ出す手だては、使者の口うら、態度からうかが い知るよりほかにあるまい」
「それで、お前さまは、怒らせようとなされたのか」
「すると、作左はそうではなかったというのじゃな」
「それがしは、虫が好かぬゆえ、好かぬままに扱うただけでござる」
「それはいかん。それでは駆け引きがなさすぎる。わしは、まことの大政所をよこすつもりならば、彼らはきっと腹に据えかねて怒りだす・・・・と、そう思うて探りを入れてみたのじゃ」
「それで、お前さまは、偽せものをくだ すつもりに違いないと見て取られたのでござるな」
「そこまでハッキリはせぬ。ハッキリはせぬゆえ、こなたに意見を訊いているのじゃ」
作左衛門は直接それには答えず、
「偽せ者と、わかったら、何となさるご所存で」
はじめてきびしく視線を燭台からそらしていった。
「知れたこと、殿の上洛を止めねばならぬわ」
「止めて、その後は?」
「今が戦いどきじゃ、妹一人質にとってある」
そこへみんなを寝所へ案内した若侍たちが、後片づけに戻って来たので、作左衛門の方から先にムッツリと席を立った。

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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