〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/11/30 (水) 三 河 の 計 算 (五)

依然いぜん として家康の上洛については三河中が反対だった。反対する者の立場から見ると、秀吉の忍耐は度を過ぎている。あまり家康の機嫌をとりすぎるきらいさえあった。
仮にも関白が、その妹を無理に離婚させて嫁がせて、その後で大政所までを人質にすることなど・・・・そのようなことは前代未聞、ありようがないと言うのが反対論者の言い分だった。
妹一人の生命と、家康の首とを取り替えるつもりで、始からたく まれた陰謀に違いない。したがって上洛してゆけば必ずどこかで殺されよし、母堂と称して下向げこう させる老婆は偽者に違いあるまい・・・・
この考えを押しすすめると、忠次の言うように朝日姫一人を質に取ったところで、両立しようのない秀吉と家康とは、雌雄しゆう を決すべきだと結論になってゆく。
現に酒井忠次はそうした自説を作左衛門に確認させようとしているのだ。
しかし作左衛門の考えはそうではない。
秀吉ほどの人物が、偽せ者を母堂に仕立ててよこすような、そんな小細工をするとは思われないし、家康が、ここで上洛をこと われるとも思えなかった。
(上洛せずには納まるまい・・・・)
そう思うと、何よりもまず、作左衛門が忠次と意見を異にしている事を家中に感じさせてはならなかった。それを感じさせたら、作左衛門は岡崎の代表を解かれて、この問題に口も手も出せない位置へ遠ざけられよう。忠次に意向は、そのまま重臣全部の意向なのだ。
「これでいよいよ怪しいことはわかった。と、なれば、何としても殿の上洛は止めねばならぬ。病気か、所用か、それとも領内に一揆でも起こったことにするか。これは一戦するかどうかとは別の問題じゃ。どうも始から臭かった。親切すぎる。そうわかって、殿を殺しにやれるものではあるまい」
廊下から玄関へ出ても、まだそう言い続ける忠次を、作左衛門は、黙々と本丸の寝所に送りこんだ。
外は月がなく、星だけが空にかかって、木々の葉末にしっとりと露がおりていた。
(困ったものじゃ) ふと嘆息が出たのは再び三の丸に戻る途中であった。
何としても外交のこととなると人がなかった。石川数正はいなくなったし、本多ほんだ 正信まさのぶ では重みが足りない。阿部あべ 正勝まさかつ牧野まきの 康成たすなり もまだ若く、京からさまざまな情報をもたらすのは、小栗おぐり 大六だいろく茶屋ちゃや 四郎次郎しろうじろう の両人だったが、これとて家中の輿論よろん を動かすほどの力はない。
結局家康自身の決定に待つよりほかにないのだが、その家康が、みんなの意見を無視して出かけて行くとなって、そのまま家中の者が納まるかどうかであった。
いや、表面は納まろう、が、もし、京か大坂かで秀吉の出方によっては随行の者の感情が爆発しないものでもなく、同じことが国もとで起こらぬとも言い切れなかった。
もし秀吉に無礼があったと言って、国もとで朝日姫や、これから改めて送られて来るであろう秀吉の母堂に危害でも加える者が出たのでは、家康の上洛は全く無意味になってゆく・・・・いや、そうして無理にも事を起こすことが徳川家のためだと固く信じている者が大部分なのだ。
三の丸へ戻って来ると、作左衛門は自身で客の寝所を見廻り、それから居間へ引き取った。
(何か対策を立てねばならぬが・・・・)

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
Next