〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/11/27 (日) 三 河 の 計 算 (一)

岡崎おかざき 城へ、当然来るものと予想していた秀吉ひでよし の使者たちが、大挙してやって来たのは、朝日姫あさひひめ が浜松へ嫁いで来てから四月あまり った、天正十四年 (1586) も九月二十五日の午後であった。
城代の本多ほんだ 作左江門さくざえもん 重次しげつぐ は、
「いかがであろうな、浜松どののご夫婦仲は」
こんども使者の中へ加わって来ている織田おだ 有楽うらく にたずねられると、
「思うたよりも、穏やかなようで」
と、そっけなく答えた。
「夫婦仲が、おだやか・・・・面白いおっしゃり方だの本多どの」
「いかにも、それ以上のことは、われらも立ち入っては聞けませぬのでなあ」
家康いえやす が、明日浜松から出て来て使者たちに会見するというので、その夜は、三の丸の広間に本多作左江門と、酒井さかい 忠次ただつぐ の接待で小宴が張られていた。
使者は浅野あさの 長政ながまさ津田つだ 隼人正はやとのしょう富田とみた 左近さこん 将監しょうげん 、織田有楽、滝川たきがわ 雄利かつとし土方ひじかた 雄久かつひさ の六人。
前の三人は秀吉からの直接の使者、あとの三人は織田信雄のぶかつ からの使者と表向きはなっている。小牧こまき長久手ながくて の戦が信長のぶなが への義によって信雄へ味方するという建前だったので、いまだに使者の割りふりまでがその糸をひいている。
むろん家康に上洛せよという催促さいそく の使者で、用件は聞かずとも分りすぎていた。
「関白殿下もご夫婦仲をご心配なされての、いくつになられても、末の妹御いもうとご のことゆえ子供のような気がするものらしい」
「そうでござりましょうな。浜松でも子供のようなお方じゃというているようで」
「子供のようなお方・・・・」
「さよう、子供というは他愛のないものだが、また、始終機嫌きげん の変わるものでな」
有楽はあわてて浅野長政と眼くばせして話題をそらした。はじめから作左衛門は、使者に皮肉を言う気なのだと感じ取ったからであった。
「ときに酒井どのは、この夏、信州の上田までご出陣なされたとうけたまわったが」
すると酒井忠次は、作左衛門よりもさらに無愛想で、
「あ、あの儀は、関白さまお扱いで不本意ながら途中から引き返しました」
と、吐き捨てるように応えた。
「なに不本意ながら・・・・すると、殿下のお扱いが不都合ふつごう だとおお せられるのか」
聞きかねたように津田信勝のぶかつ が口をはさむと、
「その事は、よしましょう。それより、浅野どのにおうかがい申し上げたい儀がござる」
酒井忠次はじっと半白の首をかしげて、
「浅野どのは五奉行ぶぎょう のお一人とか、当城から退散した石川いしかわ 数正かずまさ めは、いま何をいたしておりまするかなあ」
「されば、出雲守いずものかみ と称して、殿下のお覚えはめでたいようで」
「作左・・・・聞いたか、数正が出雲守だとよ、石川出雲守数正さまか。フッフッフ・・・・」
作左衛門はジロリと有楽を見やって、
「シーッ。酒井どの、ご使者が気をわるくなさる。おやめなされ。一つおしゃく つかまつろう浅野どの」
浅野長政はピクリと眉を動かして、渋い表情でわきを向いた。
どうやらこれはただの酒宴ではないらしい。あるいは使者を怒らせて家康との会見を不首尾に導こうという下心かも知れなかった。
「あ、浅野どのは、もはやいけませぬか、では、織田どのおひとつ」
有楽はあきれて一座を見廻しながら盃を取りあげた。

「徳川家康 (十二) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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