榊原康政の屋敷から城までの距離は六丁あまり。 付き添い人の清水
平左衛門 正親
と、山本 千
右衛 門
の先導で、行列が城へ入り終わったのは八ツ (午後二時) すぎだった。 ここも両側は見物人でいっぱいだった。 降りみ降らずみの空の下で、輿は朝日姫ただひとり、つき従う者はすべてきらびやかな徒歩
であったが、左右の戸を開かせ純白の衣裳をまとって輿の中にさしうつむいた姫の姿は、たよりないほど小さく見えた。 「── 四十を越したお方とうけたまわったが、これはひどくお若く見えさっしゃる」 「──
そうじゃ。まるで小娘のようじゃ」 「── これならば、お館
さまものう」 「── そのことじゃ。いかに人質とは言えご正室、あまり不釣り合いではやはり気になる」 そうしたささやきは町人の間で、武士たちはどこまでも不愛想な謹厳さだった。 城内ではこの日の祝いにもよおす猿楽の用意も終わり、婚儀につづいて長松丸を朝日姫の養子とする第二の儀式の用意も整っていたが、しかし朝日姫が歓迎されない人であることには変わりはなかった。 徳川家の大奥では、家康が、この四十四歳の正室と、果たして同衾
するかどうかがひそかな話題になっていた。 というのは、当時の女性は三十三歳の厄年
を境にして 「初老」 に入るものとされていたからであろう。 「──お若い側室がいく人もおわすゆえ、もう四十をお越えなされたお方様、同衾ご遠慮を申し出なさるであろう」 「──
と言われても、契りのないままでは済まされまい。それではご夫婦ではないほどに」 「── いいえ、ご婚儀がその固めじゃ。何の若い者のように契りなど・・・・」 そうした空気のうちに大玄関へ輿が着くと、酒井河内守重忠が、例の重厚な面持ちでこれを受け取った。 朝日姫は、そのころから、心細さが二重になった。伊藤丹後の母に手を取られて大坂城とは比較にならぬ、くすんだ廊下を大広間へ進みながら、自分がまだ家康の顔を見たことも、声を聞いたこともないのに気づいたのだ・・・・ (いったい、家康とはどのような見かけのお人であろうか──?) 果たして、姫が妄想したような、閨で刺せるほどの、かぼそい体躯なのかどうか。 街道一の武将と聞かされていることからの連想は、どこか兄の秀吉に似ていたが、その家康から、いきなり不遜
な問いかけにあったとき果たして臆
せずに応答できるかどうか・・・・ とのかく自分は関白の妹。 覚悟して嫁いで来たうえは、兄を辱
かしめるようなことはならぬが・・・・ そうした想いが舞い立つように胸で騒いでいるうちに、大広間の正面上段に立てられた金屏風の光がパッと鋭く眼を射て来た。 朝日姫はクラクラと眩
いがした。 ここしばらく続いて見る亡夫の夢に、眠り足りない夜がつづいたせいであろう。 「あ──」 よろめきかけて、あわてて老女の手にすがると、 「そのまま、ずっとこれへ」 金屏風の前から太い声が威圧するようにひびいて来た。 |