朝日姫は、わが身の嫁ぐ行列が京から近江
路 をすぎ、美濃から尾張の清洲城に入るまでほとんどぼんやりと、何を考える力もないようだった。 彼女の通行する両側はどこもかしももおびただしい人であった。はじめはその人々に顔を見られるのが腹立たしかった。 誰も彼もが、二十余年もの睦
みを重ねながら、良人ひとりを救い得ず、厚化粧して旅させられている、愚かしい女の自分を嘲笑しているように見えてならなかった。 「── あれが、佐治日向の女房か」 「──
いや、こんど徳川どのの内儀だわさ」 「── 何の、もともと尾張中村の百姓の娘じゃ。兄のあやつる糸のままに動いている木偶
人形よ」 そんなささやきが地上にあふれていると考えたら、楽しい旅のできようはずはなかった。 どこでも浮かぬ顔でぼんやりしているので侍女や女房たちはむろんのこと、幼な友達で、こんども輿脇の護りにつけられて来ている朝日姫の乳母の子、伊藤丹後守長実までが、わざわざ宿所では話にやって来て、いろいろと土地土地の伝説などを聞かせてくれるのであったが、朝日姫は、ほとんど聞いていなかった。 こうして、四月二十八日に大坂城を出た行列が、清洲の城に入ったのは端午
の節句の五月五日で、 「── ご婚儀は、九日でござりまするそうな」 伊藤丹後の母の紀於伊
に聞かされている日までには、あと四日に迫っていた。 ところが清洲に着くと、城内の様子にただならぬものがあった。 朝日姫が、宿所と定められた本丸の大奥に落ち着く間もまく、共に大坂から着いた本多忠勝と榊原康政がやって来て、 「ご婚儀の日取りは、都合によりいささか延引
いたすことに決まりましたが、われらは準備のため、ひと足先に浜松へ参りまするゆえ、ご挨拶にまかり出ました」 と、切り口上に言うのであった。 朝日姫の聞かされていたところでは、この両人は三河の池
鯉鮒 まで供して行って、徳川家の迎えの者に行列を引き継ぎ、そこから浜松へ先行するというのであったが・・・・ それだけに、朝日姫の神経は無理にも、ここで浜松へ向け変えられることになった。 「何か、変事でも起こりましてか」 「はい」 と、本多忠勝が武骨に応じた。 「わが君より三ヶ条の起誓文を関白殿下に乞うておりましたが、それがまだ到着いたしておりませぬ。それゆえ、婚儀の九日は延期となりました」 「三ヶ条の起誓文とは?」 「それは、女子のこなた様には申し上げても詮ないこと、お聞き下されてもお答えはいたしかねまする」 「そうであったか。それでは聞きますまい」 問う方も答える方も、まだ決して相手を許してはいなかった。 二人が退出してゆくと、すぐに朝日姫は、織田有楽を呼んで改めてそれを訊ねた。 「また婚礼の日が延びたそうな。ホッとしました。でも、ホッとできぬことがある。家康どのから関白へ三ヶ条の誓文を求めたとか、その三ヶを聞かせてたもれ」 冷たい声で言われて、有楽は、なぜか蒼
ざめて面を伏せた。 |