問題は、朝日姫の輿入
れと言う一事なのだが、そのことの意味する波紋は無限大であった。 この婚礼のために、どれほど祝い金を献上したらいおかという、淀屋常安の言葉にびっくりしていると、こんどは納屋蕉庵が、事もなげに茶碗や茶壺でゴマ化そうと言っているように、茶屋には聞こえた。 そうなると茶道衆として、堺の街から秀吉の側近へあがっている人々は、さびだの、わびだのと言う、もったいぶった文化趣味の匂いをあてがって、秀吉を瞞着
し、少しでも黄金を出さない算段をしている、陰謀の衆徒と受け取れない事もない。 しかし、その夜はそれ以上の話は聞けず、九ツ (十二時)
近くまで酒宴をつづけて、そのまま茶屋も蕉庵も淀屋に泊った。 そして翌朝は、口々にめでたいめでたいと言い合いながら、城の大手口へ雪崩
れてゆく、行列見物の群衆の中へ二人も加わっていた。 この日は晴れきってはいなかったが、雨になりそうな気配もなく、むーっとした温かさが人の渦
を包み込んでゆく感じの日であった。 淀屋常安は、むろん彼らと一緒ではなかった。大坂三町人の筆頭で、今朝は明け方から町方の会所へ出ていって見物人整理の世話をやっれいるのであろう。 「茶屋どの、大した人出じゃなあ」 「ほんに、この人々がみな、泰平を願ういぇいるのかと思うと、胸が痛うなりまする」 「茶屋どの」 「はいッ」 「長生きしなされや。関白どのの天下のうちは、さしたることはなくとも、その次の世は、お前さまの世じゃほどに」 「は・・・・」 「続きます!
きっと泰平は続くようになりまする」 「はいッ」 茶屋は子供のように答えたが、しかし、そのときには意味がよく分らなかった。 「やがて二人は押され押されて大手筋の左手にある空地
に出た。 ここへは大町人とその家族のために特別の縄張りがしてあって、さして押し合いもせず行列が見られるようになっていた。 行列が城を出て来たのは五ツ半
(九時) 。最初に槍を立てて馬を進めてきたのは北の政所の妹婿にあたる浅野弾正
少弼 長政と富田左近将監知信の順であった。 つづいて百五十人の着飾った女房侍女にはさまれて、長柄輿
十二挺がつづき、そのあとに、釣輿十五挺・・・・ 輿のあとには輿脇守護の伊藤丹後守長実と、滝川豊前守忠佐がひかえ、次は代物
三千貫を納めた五三の桐の長持ちが長々と続き、さらに、金銀を積んだ馬が二頭、眼のさめるような装いで鈴を鳴らして通っていった。そして、最後は、はじめからこの縁談に奔走
をつづけて来た織田有楽と滝川雄利、飯田半兵衛などが固めて、静かに天満の方へすすんで行くのだったが、総勢二千を超えるこの行列が、自分の前を通り過ぎるまで、茶屋四郎次郎は、ほとんど茫然
としたままだった。最初の長柄輿の中にすわっていた朝日姫が、どんな表情だったのか、それすらはっきりとは想い出せない。 それほど、あたりへは、この婚礼の主の気持とは、全く違った華麗な雰囲気がただよっていたのである。 (泰平への道!
泰平への・・・・) |