〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/11/19 (土) 勝 利 者 (三)

(家康の大勝利・・・・)
それを日頃傾倒けいとう している蕉庵の口から言われただけに、茶屋はひどく不満であった。
「わしは、必ずしも、そうではない・・・・と見ておりまするが」
「というと、関白どのが勝ったと言わっしゃるのか」
「いいえ!」 茶屋は自分の酔いが限度に来かかっていることを警戒しながら、
「わしは、あの戦の勝敗をさば くものは全く別にあったような気がいたしまする」
「全く別に・・・・と、いうと町人衆が勝ったとでも言わっしゃる気かの」
「はいッ。世が泰平になりますればこそ、このような・・・・これは、泰平を願うたみ 百姓みんなの願いが勝った・・・・それが納屋さまのおっしゃる時の勢いというものではないかと」
「ハハ・・・・」
納屋蕉庵は楽しそうに笑って、幾度も幾度もうなずいた。
「そういう意味ならば、まことにおっしゃるとおり! しかし、考えてみると、とつ がっしゃる朝日姫は哀れな、お気の毒なお方じゃの・・・・」
「それは、もう・・・・」
「おそらくご自身では、そのために戦が一つ少なくなった、それでこのように民百姓が、よろこんでおる・・・・とは、お分かりなさるまいでの」
「それをお知らせ申す手だては、ないものでござりましょうか」
「ないこともない・・・・が、これだけは、うかつに口外できないことでの」
「と、おっしゃりますると、何か・・・・」
「うかつな口を利くと侍衆は働き蜂、蜜を吸うのは町人ども・・・・などとあらぬ誤解をかもして、堺衆がお側から追い払われるようなことにならぬものでもない」
「なるほど・・・・」
「時の勢いを、絶えずお耳に届ける役目が堺衆にはある。が、これはなかなか届け方があっての」
「さようでござりましょうなあ」
「これが徳川どのならば、このようにみんなが喜んでおりますると申し上げてもすぐにお分かりなさる。が、関白どのはそうではない」
「そうではない・・・・と、言われますると」
「関白どのに言う時には、もちっと色をつけねばならぬ。ご気性の相違じゃ。どこまでも関白のやり方は前人未到、あっぱれなやり方・・・・と、申さなければご承知なさらぬ。朝日姫が哀れじゃなどと申し上げたら、わしのする事にケチをつけると、赫怒かくど なさるお方なのじゃ」
「なるほど・・・・それでうかつにご同情は・・・・」
「同情されるほど弱くはない。有無うむ を言わさず圧倒してみせる・・・・そのお方が、妹御を、こんどのようにして嫁がせなさるのじゃ。うかつに何か言おうものなら、ご自分の方が負けだと思われている・・・・と、お気づきなさる。ここはただ、天晴あっぱ れなご器量で納めておかぬとのう」
「言われてみると、いよいよ朝日姫さまが、お可哀そうになりまする」
「それゆえ、明日は、われらだけでも、涙をつつみ、心で合掌して送ってやりましょう」
広間の中央では女たちが八人で、しきりに今様いまよう を踊りだし、百畳敷きの酒席はそのまま落花のみだれに入りかけている・・・・

「徳川家康 (十一) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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