伏見からの船はうまく間に合った。 米を積んでのぼって来た淀屋の戻り船である。 茶屋四郎次郎は、それに便乗して淀川を下りながら、今さらのように両岸にもやった船の数の多さに眼を見張った。 近ごろ秀吉が、川筋に密生している葭
の権利を寵臣 の石田三成にくれたとかで、船人足
の曳き船のあとがすっかり踏みかためられ、刈りとられた芽ぐみの間に山村のそれなどよりはるかに立派な道が出来てしまっている。 大坂という新興都市とこの輸送路と直結されて、京都も日々おびただしく人口が殖えていた。 言ってみれば、庶民が一様に平和をめざして、それぞれに歩きだした証拠であった。 (そうしたときに、家康は、また戦雲の荒
びを予期して動いている・・・・?) それを思うと茶屋の胸はあやしく騒いだ。 家康の味方とか、秀吉のためとか言うことを離れて、この来かかっている平和を遁
がしてなるものか。そのために打つべき手があったら、どのような手でも打たねばならに・・・・ そんな気持ちで、船が淀屋橋の近くにとまったときには、よほど淀屋常安にも会っていこうかと考えたのだが、まだ夜が明けきっていなかったので、夜中に起こしておどろかしてはと自重した。 そして、夜明けを待って堺へ向かう、別の淀屋船に乗りかえて、 「──
常安さまによろしく」 積荷の見届けに来ている手代に、言伝をたのんでそのまま堺に向かっていった。 堺へ着いたのはその日の昼近くで、納屋蕉庵を大小路
市之の本邸にたずねてみりと、蕉庵は、養い娘の木
の実 を連れて紀州路への出口に近い南宗寺の乳守
の宮の近くにある別荘へ行っているということだった。 茶屋四郎次郎は、そのまま別邸に向かった。 このあたりはすでに梅は散りつくして、あちこちに桃の花が咲き乱れ、陽射しも京とは比較にならぬあたたかさであった。 「これは歩きながら睡気
をもよおして来そうになった」 ついて来てくれた手代の案内で、いかにも蕉庵好みの、豪壮な松の古木を塀越しにのぞかせた別邸の門前に立ったとき、中からのどかに太鼓の音がひびいて来た。 「ほう、これは樋口
石見 どのの太鼓らしいの」 「はい、実は、大坂のお邸から細川忠興さまの奥方が、お嬢様を訪ねておいでなされておりますので」 「え!?
あの細川忠興さまの・・・・」 「はい、明智
のお方でござりまする」 「なるほどのう。やはりここは堺じゃわい」 かって船で堺から明智の方とともに名も名乗りあわずに京をめざしたことのある茶屋は、思わず感慨をこめて吐息をもらしていった。 「では、旦那さまに、申し上げて参りますゆえ、しばらくここで」 手代は茶屋を玄関へ待たせたまま、いちど奥へ入って行ってすぐまた引っ返して来た。 「どうぞお通り下されませ。お嬢さまと、明智の方と、茶屋さまもご存知の、それ、宗易さまのお嬢さま、お吟
さまなどが集まって、旦那さまとみなご一緒に太鼓を習うているとこいろでござりまする」 |