京の茶屋四郎次郎のもとへ、家康からしじら三百反
の注文に事よせ密使がやって来たのは二月半ばであった。 その前に、茶屋は、お使い番小栗大六の下命によって、虎の皮、豹
の皮、猩々緋
などの注文を受け、これを堺で調
えて浜松へ送ったばかりだったので、 (これは、いよいよ朝日姫とのご婚儀が整うたにちがいない・・・・) そう思い込んでいたのだが、それはどういやら彼の早呑み込みらしかった。 小栗大六の手の者と見せかけて店へやって来たその密使は、ここ当分の秀吉の動静を、こまかく探って岡崎ませ知らせるようにと命じてきたのだ・・・・ 秀吉の策謀は事ごとに他人の意表を衝
くものゆえ、縁談と見せかけて、ふいに清洲まで出兵して来まいものでもない。その用意は充分に整えてあるのだが、しかし、秀吉に油断は禁物ゆえその動静に眼を離すな・・・・そういう意味の密命を伝えたあとで、伊賀者らしい三十五、六のその密使は、 「──
こんど戦になると、二年、三年では勝負はつきませぬなあ」 と、真顔で言った。 「── 浜松のお館は、甲州、信州では百姓どもからまで人質をとりました」 「──
なに百姓からまで・・・・」 「── さようで、万一、秀吉どのが清洲へ出て来るような事があると、紀州、四国、北陸みな手中へ帰していることゆえ、小牧のおりより軍勢は十万ほどは多かろう。それに対抗するためじゃと仰せられましてな」 「──
ふーむ」」 「── つまり、徳川家としても甲信の武将までみな動員せねばならぬ。その留守にあぶれ者が一揆
など企ててはとのご深慮からでございましょう」 密使は半ば茶屋をも威嚇
するように、 「── 百姓たちからまで人質を徴するほどゆえ、もはや各地の武将たちの人質はみな駿府に集まりました。こんどはご譜代の方々も一人残らずで・・・・もし開戦となれば、その人質はそっくり浜松へ移され、大久保七朗右衛門忠世さまがこれを護って留守居なさるそうで・・・・」 じっと茶屋の眼を見つめたまま、さらに開戦の折の陣立てのことまで口にしていった。 それによると、先陣は酒井忠次以下の五千余騎、これを十手に分けて鳴海
へ出させ、次は大須賀康高の五千、本多忠勝の五千、榊原康政の五千をもって秀吉の先ぞなえ、脇ぞえの切り崩しにあたらせ、家康自身は旗本を引き連れて長久手の一戦のごとく、井伊直政とともに、一万八千がほどで必勝の陣を張るというのであった。 相ぞなえには石川家成と平岩親吉の各五千をもってあたらせ、松平康重、小笠原信嶺
、保科正直、諏訪、屋代、菅沼、川窪、跡部、曾根、遠山、城、玉虫、今福、駒井、三枝、武川などの武将はそれぞれ遊軍として満を持し、秀吉出兵と同時に、尾、濃の地をいっきょに席捲
するような話であった。 (何のためにそのような話をしていったのか・・・・?) 密使を帰したあとで茶屋はしばらく呆然としてしまった。 そんな警戒の必要があろうなどとは思いもよらなかった。 |