惚れるという事は、あらゆる理性を超えさせる。 家康が六歳で人質に送り出されるときに、当時の与七朗数正は十歳であった。それから三十八年間、一にも家康、二にも家康で生きて来て、数正自身の生活は、全くなかったといってよい。 しかも数正はつねにその献身に満足していた。ふしぎと言えばこれほどふしぎなことはない、家康が笑えば楽しく、嘆けば悲しく、猛
れば共に昂然と地を沸かした。 そして、今もその感情にみじんの狂いもないようだった。 仏道の 「真 ──」 に立って天下の和に奉仕する・・・・そういう表面の構えの裏に、 (天下を家康に取らせたい!) その希
いが、何の矛盾 もなしに棲
みついてしまっている。 そしていま、全身にしみついている鉄心石腸の誇りを捨て、裏切り者の名を得てもなおかつ心は満ち足りている。 (誰のために?
むろん家康のために・・・・) 数正は自問自答してゆくうちに、おかしくなってひとりで笑った。 「── 殿のためが、いつからか自分のためとひとつになったわ・・・・そうじゃ。石川数正は、いま自分の業のために、岡崎を立ち退くのだ」 いつか十三夜の月は頭上に近く、列の真っ先で康長のわめく声とともに歩みが停まった。 追う者がなかったので、安心しきっていたところ、前方から何者かが誰何して来たものらしい。 「康長、何ごとじゃ」 数正は、手綱をしぼって列前に出ていった。 「はい。池鯉鮒
の番所を預かる騎馬同心にござりまする」 「して姓名は」 「野々山
藤五郎 」 行く手に立ちはだかった馬上の影が、きらりと槍の穂尖を光らせて大きく答えた。 「おお、野々山か、大儀であった。石川数正じゃ」 「それゆえこ不審申す。夜中ご城代にはいずれへお越しなされまする」 「藤五」 と言いながら数正は、彼の連れている小者が二名だけなのを確かめて、 「黙って通しては、おぬしの顔が立つまい。ここで斬り死にするか、それとも、急を岡崎へ告げるか、いずれでもおぬしの気の済む方を取るがよい」 「と言われるともしや、噂にたがわず・・・・」 「ハッハッハ・・・・殿に愛想をつかしての出奔じゃ。手向かうか」 「殿に愛想を・・・・」 「そうじゃ。国境までは迎えの軍勢が参っておる。こうした場合の処置は、数正がつねづね教えてあったはず。血迷うてあとで笑いの種になるな」 「ふーむ」
と、馬上で唸った。 「ハハ・・・・まだ誰も知らぬぞわしの出奔を。斬り死にするが道か。まず急を知らせるが先か」 「ご免!」 間髪
を容れずに相手は槍を構えて、馬をおどらせた。 数正はあやうく躱
して抜き合わせると、 「騒ぐなッ。騒ぐな康長」 と、押し殺した声で、斬りかかろうとするわが子をおさえた。 |