〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/11/12 (土) 出 奔 (十)

惚れるという事は、あらゆる理性を超えさせる。
家康が六歳で人質に送り出されるときに、当時の与七朗数正は十歳であった。それから三十八年間、一にも家康、二にも家康で生きて来て、数正自身の生活は、全くなかったといってよい。
しかも数正はつねにその献身に満足していた。ふしぎと言えばこれほどふしぎなことはない、家康が笑えば楽しく、嘆けば悲しく、 れば共に昂然と地を沸かした。
そして、今もその感情にみじんの狂いもないようだった。
仏道の 「真 ──」 に立って天下の和に奉仕する・・・・そういう表面の構えの裏に、
(天下を家康に取らせたい!)
そのねが いが、何の矛盾むじゅん もなしに みついてしまっている。
そしていま、全身にしみついている鉄心石腸の誇りを捨て、裏切り者の名を得てもなおかつ心は満ち足りている。
(誰のために? むろん家康のために・・・・)
数正は自問自答してゆくうちに、おかしくなってひとりで笑った。
「── 殿のためが、いつからか自分のためとひとつになったわ・・・・そうじゃ。石川数正は、いま自分の業のために、岡崎を立ち退くのだ」
いつか十三夜の月は頭上に近く、列の真っ先で康長のわめく声とともに歩みが停まった。
追う者がなかったので、安心しきっていたところ、前方から何者かが誰何して来たものらしい。
「康長、何ごとじゃ」
数正は、手綱をしぼって列前に出ていった。
「はい。池鯉鮒ちりゅう の番所を預かる騎馬同心にござりまする」
「して姓名は」
野々山ののやま 藤五郎とうごろう
行く手に立ちはだかった馬上の影が、きらりと槍の穂尖を光らせて大きく答えた。
「おお、野々山か、大儀であった。石川数正じゃ」
「それゆえこ不審申す。夜中ご城代にはいずれへお越しなされまする」
「藤五」
と言いながら数正は、彼の連れている小者が二名だけなのを確かめて、
「黙って通しては、おぬしの顔が立つまい。ここで斬り死にするか、それとも、急を岡崎へ告げるか、いずれでもおぬしの気の済む方を取るがよい」
「と言われるともしや、噂にたがわず・・・・」
「ハッハッハ・・・・殿に愛想をつかしての出奔じゃ。手向かうか」
「殿に愛想を・・・・」
「そうじゃ。国境までは迎えの軍勢が参っておる。こうした場合の処置は、数正がつねづね教えてあったはず。血迷うてあとで笑いの種になるな」
「ふーむ」 と、馬上で唸った。
「ハハ・・・・まだ誰も知らぬぞわしの出奔を。斬り死にするが道か。まず急を知らせるが先か」
「ご免!」
間髪かんはつ を容れずに相手は槍を構えて、馬をおどらせた。
数正はあやうくかわ して抜き合わせると、
「騒ぐなッ。騒ぐな康長」
と、押し殺した声で、斬りかかろうとするわが子をおさえた。

「徳川家康 (十一) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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