〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part ]』 〜 〜

2011/11/10 (木) 出 奔 (七)

長男の康長が、数正の前に両手をついて、
「私も参りまする!」
叫ぶように言ったのは、八人の腹心が、もの静かに数正をかこんでもん なりに坐ったあとであった。
「よし」
と、数正は軽くうなずき、
「わかっていたのじゃ」
かす かに笑って、すぐにみんなの方へ向き直った。
「大事をの、今、家族に告げたところじゃが」
「と、仰せられますると、今までは・・・・」
びっくりしたように訊き返したのは中島作左衛門だった。
「洩れてはみなに難儀がかかる。時に、作左衛門は尾州びしゅう との連絡、さとられぬように仕果たしたであろうな」
「はい。米野の中川三四郎さま、途中まで馬百ぴき と笠百がい 、たしかに領境まで出しておくゆえご安堵ありたしと申されました」
尾州米野の中川三四郎は、織田信雄の家臣で、数正の妻女の遠縁に当てっていた。
おそらく数正はそこmで出向いて一泊し、改めて旅装を整えたうえ、京から大坂をめざすつもりなのに違いない。
「よし、では又左衛門に、明日午後大給おおぎゅう の陣代がもとへ馬を走らせて貰おうか」
天野又左衛門は堅くなって、
「心得ました!」
と、大きくこた えた。
「フフフフ、又左衛門は少し気負いすぎているぞ」
「はいッ」
「無理もないがの、代給の陣代松平五左衛門近正は、ご家中でも名うての頑固者じゃ。その頑固者に、共に秀吉にくだ らぬかと、裏切りをすすめに行くのじゃからの」
数正は半ばわが子の康長に聞かせる口調で、
「よいか又左、正月早々、われらは大坂へ年賀におもむくゆえ、その折共に三河を退転せぬか、必ず秀吉に推挙しようと申すのじゃ」
「心得てござりまする」
「すると、近正は赫怒かくど するゆえ、斬られぬようにな。われらは使者にござりまする。ただ返事だけうけたまわりたいと申して、あまり身近に寄らぬことじゃ」
「心得てござりまする」
天野又左衛門が答えてゆくと数正はまた康長をかえりみた。
「大給へはわれらがこのあいだ参っている。明日また又左が参ると、怪しんでいる血気の者どもはみな又左の後をつけよう。その間に、家の子どもは家族を連れて、夜のうちに岡崎を離れるのじゃ。それが第一隊で、われらは明後日の日暮れどき、みなみなが下城して、夕餉ゆうげ の膳に向かう時刻に城を出る」
「それで、不安はござりませぬか」
康長が身をのり出して訊ねると、数正は生真面目きまじめ な表情で、
「大給の陣代が、正月には数正は退転するぞと、わざわざ言いふらしてくれようでのう。考えてみると罪なことじゃが・・・・」
「では、明夜岡崎を発つ者と、明後日ご主人のお供をしてゆく者とを、ここでおきめお決め下さりませ」
渡辺金内が、これは数正以上の落ち着き方でうながした。
せでに、準備も手順もすっかりできているらしい口調であった。

「徳川家康 (十一) 著:山岡荘八 発行所:講談社 ヨリ
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