長男の康長が、数正の前に両手をついて、 「私も参りまする!」 叫ぶように言ったのは、八人の腹心が、もの静かに数正をかこんで環
なりに坐ったあとであった。 「よし」 と、数正は軽くうなずき、 「わかっていたのじゃ」 微
かに笑って、すぐにみんなの方へ向き直った。 「大事をの、今、家族に告げたところじゃが」 「と、仰せられますると、今までは・・・・」 びっくりしたように訊き返したのは中島作左衛門だった。 「洩れてはみなに難儀がかかる。時に、作左衛門は尾州
との連絡、さとられぬように仕果たしたであろうな」 「はい。米野の中川三四郎さま、途中まで馬百疋
と笠百蓋 、たしかに領境まで出しておくゆえご安堵ありたしと申されました」 尾州米野の中川三四郎は、織田信雄の家臣で、数正の妻女の遠縁に当てっていた。 おそらく数正はそこmで出向いて一泊し、改めて旅装を整えたうえ、京から大坂をめざすつもりなのに違いない。 「よし、では又左衛門に、明日午後大給
の陣代がもとへ馬を走らせて貰おうか」 天野又左衛門は堅くなって、 「心得ました!」 と、大きく応
えた。 「フフフフ、又左衛門は少し気負いすぎているぞ」 「はいッ」 「無理もないがの、代給の陣代松平五左衛門近正は、ご家中でも名うての頑固者じゃ。その頑固者に、共に秀吉に降
らぬかと、裏切りをすすめに行くのじゃからの」 数正は半ばわが子の康長に聞かせる口調で、 「よいか又左、正月早々、われらは大坂へ年賀におもむくゆえ、その折共に三河を退転せぬか、必ず秀吉に推挙しようと申すのじゃ」 「心得てござりまする」 「すると、近正は赫怒
するゆえ、斬られぬようにな。われらは使者にござりまする。ただ返事だけうけたまわりたいと申して、あまり身近に寄らぬことじゃ」 「心得てござりまする」 天野又左衛門が答えてゆくと数正はまた康長をかえりみた。 「大給へはわれらがこのあいだ参っている。明日また又左が参ると、怪しんでいる血気の者どもはみな又左の後をつけよう。その間に、家の子どもは家族を連れて、夜のうちに岡崎を離れるのじゃ。それが第一隊で、われらは明後日の日暮れどき、みなみなが下城して、夕餉
の膳に向かう時刻に城を出る」 「それで、不安はござりませぬか」 康長が身をのり出して訊ねると、数正は生真面目
な表情で、 「大給の陣代が、正月には数正は退転するぞと、わざわざ言いふらしてくれようでのう。考えてみると罪なことじゃが・・・・」 「では、明夜岡崎を発つ者と、明後日ご主人のお供をしてゆく者とを、ここでおきめお決め下さりませ」 渡辺金内が、これは数正以上の落ち着き方でうながした。 せでに、準備も手順もすっかりできているらしい口調であった。 |