「こなたが、そのように言うたとて、いったんこうとお心を決めなされた父上が、思いとどまると思うていやるのか」 母にそう言われると、康長はいっそう急
きこんだ。 「だからと申して、お館さまのお許しも得ずに、この城を退転できると思われますか。それは謀叛
と同じ事じゃ。まるほど、大坂には弟の勝千代がおりまする。が、その勝千代の愛にひかれて、主君を裏切ったと言われては、あとの残る大祖母
さまをはじめ、一族はどうなりまする」 「まあ、お待ちなされ」 妻女はまた柔らかくさえぎって、そっと良人の顔色をうかがった。 数正は、黙って薄く眼を閉じたまま、母とこの問答を聞いている。 「父上にはな、私やこなたではどうにもならぬ業
がおありじゃ。たぶん無事に退転なさる方法はお考えであろう。ここでは父上のお申しつけに従いましょう」 「またしても母上が業と言われる・・・・業とは何でござりまする。そのために、一家一族が犠牲にならねばならぬほど、価値あるものとは受け取れませぬ」 「これはしたり・・・・ 妻女はふっと表情を引き緊めて康長に向き直った。 「父上はなあ、これが正しい・・・・これが生き甲斐と思うたこ事は、思い止めることのできないものをお持ちなのじゃ、それが業じゃ。二十余年も連れ添うて、母にはそれがよう分る。頼みじゃほどに、父上の正しい生き方と信じたことに、こなたも我
を折ってたもらぬか」 「そうじゃ!」 と、また勢い込んで幼い半三郎が応じた。 「父上は、正しくない事はせぬお人じゃ」 「待て!」 数正は眼を閉じたまま半三郎を制して、 「よし、わが業のために、不同意の康長までは同行すまい。斬るのも止そう。こなたは、本宗寺
内の大祖母のもとへなりとおもむいているがよい」 大祖母とは、数正の祖父にあたる石川安芸
の妻女、熱心な真言信者で、いまは庵室住居
をしている妙西尼
のことであったが、それを聞くと、さすが康長もふっと黙った。 (父の出奔のことは知らなかった・・・・) そんな申し開きでもし自分に生命が助かるものとすれば、それは家康との間に、何か暗黙の了解があるのに違いないと思われたからであった。 「叔父の家成もいることゆえ、こなたの申し開き次第で、必ず斬られるとも限るまい。よし、もはや同行する家臣どもも集まっていることであろう。これへ呼び入れてくれぬか」 数正は妻女に言って、それから半三郎に、 「灯りと火桶を」 と、命じていった。 取り残された康長は、真四角に坐ったまま石のように動かない。 「康長、こなた座をはずせ」 「と、仰せられると、父上は、家の子たちもみな連れて・・・・」 「そうじゃ、腹心
がのうては行った先で働けぬ。あれらはそなたのようにわしに不信は抱いておらぬ」 そこへ、天野
又 左衛
門 を先登にして渡辺
金内 、佐野
金 右衛
門 、本田
七 兵衛
、村越 伝七
、中島 作
左衛 門
、伴 三
右衛 門
、荒川 惣
左衛 門
など、数正の腹心たちがひっそりと入って来た。 |