数正は、わざといかつい表情で、 「内応者が出る・・・・とは、いったい誰のことだ」 と、ききかえした。 杉浦時勝は、いかにも三河者らしい武骨さで、 「それは、ご城代のことでござる」 答えてぐっとそり身になった。 「なに、わしが内応者だと」 「噂でござりまする」 「杉浦・・・・おぬしも、そうした噂を信じるのか」 「信じたくありませぬ」 「仮に・・・・」 と、言って、数正ははじめて笑顔を見せながら、 「わしにそのような気配があり、敵が国境
まで攻めて来たときは何とするぞ」 「言うまでもなく、われらでご城代の首を申し受けまする」 「そうか、それを聞いて安堵した。そうした気概の者はおぬしばかりはあるまいなあ」 「むろん!
新城 七之助
、並木 晴勝
、みなそのつもりで、用心いたしておりまする」 「よろしい。が杉浦、おぬしたちは万一戦になったら、いずれが勝つと思うぞ。これも遠慮のないところを申してみよ」 「言うまでもないこと!
三河はいまだいちども負けたことはござりませぬ」 「ふーむ。その誇りを傷つけてはならぬ。充分、わしにも国境にも注意を怠るな」 「かしこまりました」 昂然と答える時勝を見ていると、数正は、 (ここでもそろそろ限度が来ている・・・・) と、心で思った。 おそらくこれは家康につけられている馬上同心八十騎を代表する言葉であろうが、いずれもが、重臣評議のおりの空気と同じものを身につけていて、秀吉と往復している数正に、手きびしい疑惑と反感を抱いている。 しかも戦は勝つものと決めてかかって、敗れた折の惨
めな隠忍を忘れているのだ。 その夜はさりげなく時勝を帰して、それから二、三日は、何気ない様子で城下から近村を馬で見廻った。 歩いてみると、いつもうしろに微行
がついている。家康がそのようなことを命ずるはずはなく、重臣の誰かが、寄騎たちに、 「── 数正を見張っておれ」 そう内命して、彼らの反感を煽
っているのに違いなかった。 数正はしかし十日までは家族にも、家臣にも、自分の決心はひた隠しに隠していった。 十一日の午後であった。 「康長、半三郎と母者
を連れて、わしの居間へ来るように」 その日も午前中、城内をあちこち歩いて来て居間へ入るときに長男の康長に言った。 「何事でござりまする。母者も半三郎も連れて来ましたが」 康長が入って来ると、数正はおだやかな眼で三人を見廻して、 「よいか。この事は、こなたたちの意見を訊くのではない、わしの命令ぞ」 そう言ってから声をおとして、 「わしは浜松の殿に愛想が尽きた。殿を見限って、明後日この城を立ち退き、秀吉どにに随身する、みなもそのつもりで心の用意をしておくように」 |