秀吉と寧々の睦みには、いつからか一つのルールができていた。 はじめは戯れ言まじりの口喧嘩で、それがしだいに激しくなると、かたわらの者はハラハラした。 どちらも、遠慮など微塵もない口の利き方で、しかし最後にはきまって互いに手を取りあい、相手を褒めてゆくのであった。 これだけに今も二人が手を取りあうと、誰からともなくホッと吐息をつきだした。 中には涙ぐんでいる者さえある。 (これがまことの夫婦であろう・・・・) 寧々には侍女の一人にまで、そう思わせずにはおけない勝ち気さがあった。 この勝ち気さは、はじめは秀吉の歩みと伸びに負けまいとする世のつねの女らしい励みに集中されていた。それがいつからか、激しい闘志に変わっていったのは、やはり秀吉が、あれこれと側女
をおき出してからであった。 秀吉は、決して側女に溺れて去就
をあやまるようなことはなかったが、その代わりに、極端なまでに女の身分を珍重した。自分の出生が卑しいゆえ、それで名門の女を好む・・・・と、世間では噂していたが、寧々の眼にはそうは映らなかった。 当時の武将の誰もがそうであるように、秀吉は側女を奥の装飾品と思い込んでいる。飾りものともなれば、それは若く美しく、そのうえ名人の手に成った、出所の明瞭なものでなけらばならない。いわば一種の骨董趣味でもあり美術趣味のようでもあった。 寧々が秀吉に強くあたり出したのは、そうした見方に立った後だった。 もし、名門の逸品
に、自分以上の才能がありと思われたら、寧々の立場はなくなるのだ。 そこで寧々は、誰よりもまず深く、信長の言う 「禿鼠 ──」 の価値と正確の理解につとめた。 それは並に大抵の闘いではなかった。もし歩みおくれて、秀吉の姿を見失うようなことがあったら、信長にも濃御前にも
「才女 ──」 をもって許された寧々は、この世でいちばん惨
めな妻になったろう。側室がいずれも名門の出であるということは、愚かな卑しい正室を、生きながらの家畜に蹴落とすもになのだ。 しかし、今の寧々は、もはや完全に、その危惧からは脱し得ていた。 従三位
の政所。 側室たちはみな寧々に礼儀あつく接していたし、秀吉も彼女には完全に一目
おいた。 と言って寧々は少しも油断しなかった。 彼女の分析して得た良人の性格は、一語にして言うと 「後ろを向かぬ男 ──」 であった。 いや
「後ろを向かせてはならぬ男 ──」 と言った方がよいかも知れない。 どこまで歩いてゆくのか? それは寧々にも分らない。 が・・・・それでよいのだと寧々は思う。 おそらく死ぬまで、何かを見つめて歩みつづける。その歩みの手引きをしている限り、秀吉は寧々を軽蔑したり無視したりすることはできない。 その意味では、寧々はハッキリとした自身を持ちだしている。 (わらわは、関白秀吉の杖なのだ。わらわをおいて、この禿鼠の杖になれる女子などあるものか・・・・) その秀吉が、こんどは自分で銚子を取って、うやうやしく寧々に酌をした。 |