「寧々よ、わしは眼が開いたぞ」 秀吉が、いつもの癖で誇張たっぷりに話しだすと、寧々もまた少女のような媚でこたえた。 「嘘ばっかり・・・・何もかも上様はお気づきなされておわすくせに」 「そうではない。わしは心で家康を怖れていた。怖れていたというのが当たらなければ、少なくとも自分と対等の、油断してはならぬ男と思うていた。それがそもそも誤りであったよ」 「上様と徳川どのとでは比べものになりませぬ、外の形は似ていても、銅の銚子と、紺の銚子ほどの違いはござりまする。さ、もう一献
召しませ」 「いただこうとも! うまいのう寧々」 「はい、寧々は仕合わせでござりまする」 「いやいや仕合わせはなはこのわしじゃ。わしは故実を調べさせての、こなたに、女子で最上の階位を下さるよう禁裏
へお願いする気じゃ」 「もったいない。寧々はこれでたくさんでござりまする。ただ上様こそ、この上とも、踏みとどまることなく、ぐんぐんお進みなされませ」 「分った!
分った!」 そう言うと、秀吉はホッとしている侍女たちに悪戯
っ子そのままの眼を向けて、 「わしはな、もはや日本の総大将になった。これからはの、家康も成政も、元親
もみな家来にし、その家来どもを引き連れて唐天竺
まで出て行くぞ。よいか、政所さまはの、その世界の総大将の御台所
じゃ、決して粗略があってはならぬぞ」 生まじめに言われて一同が、 「ははッ」 と平伏してゆくと、さらに煽るような手つきで言い添えた。 「みなみな、よく政所さまを見習うがよいぞ。これこそ女子の中の女子。世界一の女丈夫
じゃ。相分ったか」 その前で寧々は少しもテレた様子はなく、 「何の、わらわなど詰まらぬ女子じゃ。しかし上様のようなお方は千年に一人も出て来ぬお方、お陽さまの申し子じゃ。みなみなそのお蔭で、こうして安穏
に生きられる。このご恩を忘れては済むまいぞ」 言いながら、寧々は、 (この禿鼠・・・・ほんとうに唐天竺まで出向いてゆくかも知れぬ) と、ふっと思った。 堺衆は熱心にすすめているし、それとなく船も作り出している。寿命が尽きてどこかで果てるまではおそらく夢を追いつづけよう。 しかし、それでいいのだ
── と、寧々は思う。その自信がなければ、力の比較だけを考えて来ている今の大名たちはおさえ切れまい。彼らは、屈服すればよい家臣であったが、隙を見せればみな敵なのだ・・・・ 秀吉はかなり酔って来たようであった。酔うとはげしく首を振るいつもの癖が目立って来た。 「上様、もはや、ご寝所へわたらせられませぬか。加賀の局
が、おわたりを願うていましたゆえ」 「いや、今宵
はよそへは行かぬ。今宵はこなたのもとで過ごす・・・・天下一の女丈夫よ。さ、もう一献注いでたもれ」 寧々はおかしくなってフフッと笑った。やはり彼女も女であった。どこかに嫉妬の糸がまつわりついている。 しかし、それを冷静に省
られる寧々であった。 |