寧々は、秀吉が、何と答えるかを充分計算に入れて、巧みに話を誘導した。 しかも思いのままに相手が話に乗って来ると、こんどは急にきびしい真顔になった。 それらの様子から察して、秀吉が、家康を怖れているという噂は、寧々にとって、秀吉以上に歯痒く腹の立つことだったのに違いない。 「上様・・・・」 と、寧々は強い視線で良人を見上げて、 「捨ておいてはなりませぬ。このような噂がひろまっては、ご威光にかかわりましょう」 「こんどは意見か政所は」 「上様の腹の大きさを、みなはまだ存じませぬ。というは、上様にも落ち度があるゆえにござりまする」 「なに、わしにも落ち度があると・・・・!?
これは魂消たことを言う悍馬が。まさかそうやって政所自身が亭主関白の箔を落とそうといのではあるまいなあ」 「戯れごとではござりませぬ!」 寧々はふっと出かけた笑いを押えて、 「上様の戦ぶりが、関白らしゅうないからと、お気づきなされませぬか。羽柴筑前の戦ぶりと、関白秀吉の戦ぶりとの間には、どのような相違がなければならぬか、それへのご思案が足りませぬ」 「な・・・・なにッ、羽柴筑前の戦ぶりと、関白が戦ぶりだと!?」 秀吉はさすがにハッとしたらしかった。 (何か言いたい事がある・・・・) それだけならば、このような真剣な冗談で立ち向ってくる寧々ではない・・・・そう思うていたのだが、寧々の言いたいことが、それほど大きな意味を持った諫めであろうとは気がつかなかったのだ。 (大きなことを吐かしおるぞ!) そう思うと癇癪と、 (やはり寧々じゃ!) この妻に対するふしぎな愛情とが入り混じった。 「ふーむ」 と、秀吉は複雑な感情をよりわけながら低く唸った。 「すると北の政所めは、この秀吉よりも先に関白になっているぞと申すのじゃな」 「はい、そう申したとて、お叱りなさる上様ではござりませぬ」 「聞こう寧々!
こなた、わしの紀州攻めの戦ぶりに、不満があるというのであろう」 言ってから秀吉はさすがに同席している侍女たちに、聞かせてよいものかとあたりを見やった。 寧々は笑いながら、その必要のないことを眼顔で示した。 そう言えば、始から信じられない女子など決して身辺に置かぬ寧々でもあった。 「あの折には、もはや紀州攻めであったはならぬ。どこまでも征伐でなけらばなあ」 「ふーん、小癪なことを申す。攻めと征伐とはどう違うぞ」 「攻めというのは滅ぼして勝たねばならず、征伐というは降服させたらそれでよい戦・・・・でござりましょう。それなのに、殿は、わざわざ根来衆のうち十何人かを、降伏させずに遠江へ追いやりましたそうな。寧々には、そのような戦ぶりが、天下人の戦ぶりとは思われませぬ」 秀吉はカチリと膳に音を立てて盃をおいた。とっさに、軽い応酬の言葉が出ない様子であった。 |